吉備王国へのみち その31 牛窓オリーブ園 Ⅱ

 ここから、牛窓オリーブ園の歴史を少し紹介する。  岡山有数の商人だった服部和一郎は、「オリーブは栄養がよく、薬用にもなり、灯火にもなり、自然も守る」と考え、太平洋戦争中の1942年に服部が牛窓の丘陵地に作ったオリーブ畑が今日の牛窓オリーブ園の始まりと考えられている。  第二次世界大戦中、軍部から食糧増産のために所有する山林を…
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石狩川への旅 その4 「鰊(にしん)御殿」にて

 これから僕は、小樽そのものを象徴する建物を見学に行く。それは小樽市祝津にある北海道指定有形文化財の「鰊御殿」である。 江戸時代、経済の基盤は米であったが、渡島半島の南西部を所領としていた松前藩の場合、鰊(ニシン)が経済の基盤をなしていた。(鰊は当時は鯡[魚に非ず]と書いて米相当の扱いだった。) 幕末には幕府は蝦夷地を直轄領として領土の…
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探険家の歴史 第2部 長江の旅 その7 大理にて

   大理風景、問題が最後にあります。楽しみにネ?↑  雲南省の代表的な都市である大理は、昆明の西、麗江の南に位置する白族(ぺーぞく)の都市である。    大理を代表する風景(洱海(アルカイ)と聖寺三塔) ↑  都市の人口は50万ほど、その3分の2は白族(ぺーぞく)で占める。この都市には白族の歴史と伝統…
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