「九州散歩Ⅰ 街道をゆく 「豊後・日田街道」の旅 その3 昼食は豆田町で

 これから豆田町まで歩いて行って、蕎麦酒処麦屋日田豆田本店で昼食とするが、その前に豆田町を簡略に紹介する。  日田市は周囲の山々から流れ出る豊富な水が集まって筑後川となることから、古来より水郷日田として知られていた。  また、古くから北部九州の各地を結ぶ交通の要衝として栄え、江戸時代にはその大半を天領として支配され、九州の政治、経済…
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続オホーツク街道の旅(2012年に旅したオホーツク街道の続き) その2 オシンコシンの滝 

 これから知床半島に入っていく。 知床半島はオホーツク海の南端に突出した半島で、長さ約70km、基部の幅が25kmの狭長な半島で、西側がオホーツク海、東側が根室海峡に面している。 地名の由来は、アイヌ語の「シリ・エトク」または「シリ・エトコ(地山の先、あるいは地山の突き出た所、陸地の突端部、岬)で、元々は知床半島全体を指す地名ではなく、…
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砂鉄と銀と神話の道(2017年の旅) その54  熊谷家住宅に到着

これから行く勝源寺は、大久保石見守長安と竹村丹後守道清が大旦那となって、1601年に建てられた寺である。 当時石見銀山は江戸幕府直轄の天領で、幕府から任ぜられた奉行・代官の下で一大産業都市として栄えていた。 この階段を上がって勝源寺の山門に入る。この勝源寺は奉行や代官の菩提寺で、ここには六人の代官の墓所がある。後に徳川家康を祀る東…
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