大阪散歩 その21 倭の五王
ミニ展望台から大仙公園を歩いて堺市博物館に向かった。
しかし予想をはるかに超えて大仙公園は広かった。
いい加減歩き疲れたところで堺市博物館に入ったが、企画展をやっていてそれがかなりの額の見学料となっていたので、良くも見ないで仁徳天皇陵に向かった。
仁徳天皇陵に行く前に、ここで倭の五王について記したい。
倭の五王とは、中国の歴史書「宋書倭国伝」に記述のある倭国の五人の王、すなわち讃、珍、済、興、武をいう。
倭の五王が誰であるかに関しては諸説がある。
ここでは名著「大和朝廷」を書いて河内王朝説を唱えた京都大学名誉教授の上田正昭氏の説を記していく。
これは天皇と倭の五王の系図を並べたものである。
済が允恭天皇、興が安康天皇、武が雄略天皇を指すというところまでは、倭の五王を天皇に比定しようとする研究者間でほぼ一致している。
一致していない讃と珍については、上田正昭氏の説により、讃を仁徳天皇、珍を反正天皇とした。
5世紀の河内王朝の時代に活躍した倭の五王の墓が堺市にあり、その王陵を見るのが楽しみだった。
今日歩いている百舌鳥古墳群には、讃の仁徳天皇陵と珍の反正陵、明日歩く古市古墳群には、済の允恭天皇陵と武の雄略天皇陵がある。
興の安康天皇陵は奈良市にあるので今回の旅では訪れない。
しかし、ようやくたどり着いた仁徳天皇陵はあまりに大きかった。
この陵を1周するだけでも1時間半はかかりそうである。
とにかくこの二つの古墳は大きすぎて、古墳を見るというより、古墳の周りを散歩するという感覚に近かった。
特に仁徳天皇陵については、堺市役所の屋上から見ていた方がずっと良かった。
巨大な森の中に迷い込んだような感じにしかなれなくて、すっかり疲れてしまった。
帰りは堺市博物館前からバスに乗ったが、この街は堺駅前と堺東駅前の二つの中心があるようで、すんなりと堺駅前のホテルに帰れず、再び苦労した。
夕食は、ホテル近くの中華食堂で780円の焼肉定食を食べた。
今日の反省だが、午前が良すぎる場合午後は特に慎重に行動した方がいい、一日うまくいくことは滅多にないと思い知らされた一日となった。
睡眠については、この部屋では普通に眠れた。
しかし予想をはるかに超えて大仙公園は広かった。
いい加減歩き疲れたところで堺市博物館に入ったが、企画展をやっていてそれがかなりの額の見学料となっていたので、良くも見ないで仁徳天皇陵に向かった。
仁徳天皇陵に行く前に、ここで倭の五王について記したい。
倭の五王とは、中国の歴史書「宋書倭国伝」に記述のある倭国の五人の王、すなわち讃、珍、済、興、武をいう。
倭の五王が誰であるかに関しては諸説がある。
ここでは名著「大和朝廷」を書いて河内王朝説を唱えた京都大学名誉教授の上田正昭氏の説を記していく。
これは天皇と倭の五王の系図を並べたものである。
済が允恭天皇、興が安康天皇、武が雄略天皇を指すというところまでは、倭の五王を天皇に比定しようとする研究者間でほぼ一致している。
一致していない讃と珍については、上田正昭氏の説により、讃を仁徳天皇、珍を反正天皇とした。
5世紀の河内王朝の時代に活躍した倭の五王の墓が堺市にあり、その王陵を見るのが楽しみだった。
今日歩いている百舌鳥古墳群には、讃の仁徳天皇陵と珍の反正陵、明日歩く古市古墳群には、済の允恭天皇陵と武の雄略天皇陵がある。
興の安康天皇陵は奈良市にあるので今回の旅では訪れない。
しかし、ようやくたどり着いた仁徳天皇陵はあまりに大きかった。
この陵を1周するだけでも1時間半はかかりそうである。
とにかくこの二つの古墳は大きすぎて、古墳を見るというより、古墳の周りを散歩するという感覚に近かった。
特に仁徳天皇陵については、堺市役所の屋上から見ていた方がずっと良かった。
巨大な森の中に迷い込んだような感じにしかなれなくて、すっかり疲れてしまった。
帰りは堺市博物館前からバスに乗ったが、この街は堺駅前と堺東駅前の二つの中心があるようで、すんなりと堺駅前のホテルに帰れず、再び苦労した。
夕食は、ホテル近くの中華食堂で780円の焼肉定食を食べた。
今日の反省だが、午前が良すぎる場合午後は特に慎重に行動した方がいい、一日うまくいくことは滅多にないと思い知らされた一日となった。
睡眠については、この部屋では普通に眠れた。
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