大阪散歩 その43 密厳院に泊まる
今夜の宿は密厳院であるが、泊まる場所には何の問題もなかったが、夕食場所には苦労した。
密厳院の近くの店で夕食を食べようと考えていたが、その店の主人が病気がちと言うことで、店が閉まっていて結局別の店で夕食を食べた。
この辺の食堂は昼飯までは出しているが夕方早くに店を閉めてしまうので、食堂を探すのに苦労した結果、午後4時半位に池田食堂でかつ丼を食べる結果となった。
これでは夜が持たないので、大サイズの焼き鳥を2本買って今夜に備えた。
宿である密厳院は一流ホテル並みで、部屋数も多く室内も広くて綺麗で、風呂もぬるめに設定されていて、気分よく長風呂できた。
ちなみにこの密厳院は根来寺の創設者である覚鑁が開設した寺で、覚鑁関連の寺は高野山では密厳院だけとのこと。
夜の高野山はやはりかなり冷え込んで、ストーブなしでは居られない寒さだったが、睡眠については全く支障なく快適に眠れた。
朝飯前に密厳院での勤行に参加して、30分ほど宿を共にした方々と御住職のお経を聞いていたが、やはり心配していたとおり両足がしびれてしまった。
勤行が済んでから御住職と数分話した。
ここに宿泊した理由である「覚鑁という人物に興味があり、根来寺を訪ねたりした。この寺が高野山で覚鑁の住んでいた寺だと知って、迷うことなくこの寺に宿泊した。」と話すと、御住職は「良く勉強しておられる」と褒めてくれた。
興味を持って接している覚鑁のことについて、覚鑁の開設した寺の御住職と話すことができてうれしかった。
勤行のあとは密厳院の精進料理の朝食であるが、やはり精進料理だけでは足りないので、昨夜の食べ残しの焼き鳥を食べてしっかり今日の行動の準備をした。
今日の午前中は、空海が造った真言宗のテーマパークである高野山の「精神」の中心である「奥の院」まで歩くことにしている。
その前に密厳院向かって左隣に造られている苅萱堂を見学した。
苅萱(かるかや)とは、出家した武士苅萱道心とその息子石道丸にまつわる物語である。
物語の発端だが、武士加藤左衛門尉繁氏は妻と妾の醜い嫉妬心を見て世の無常を感じ、領地と家族を捨てて出家し、苅萱道心と号して法然のもとで修行し、高野山に登った。
苅萱堂には額に入った物語画が、物語の順に壁に掛けられている。
苅萱道心の息子である石童丸は母とともに父親探しの旅に出て、父親らしい僧が高野山に居ると聞き、一人で山に登って偶然父親である等阿法師に出会うが、父親は「あなたが尋ねる人はすでに死んだ」と偽りを言ったので、石堂丸は高野山から戻った。
石童丸が高野山から戻ると母親は長旅の疲れが原因ですでに他界していた。頼る身内を失った石童丸はふたたび高野山に登り、父親である等阿法師の弟子となり、互いに親子の名乗りをすることなく仏に仕えたという哀しい話である。
密厳院の近くの店で夕食を食べようと考えていたが、その店の主人が病気がちと言うことで、店が閉まっていて結局別の店で夕食を食べた。
この辺の食堂は昼飯までは出しているが夕方早くに店を閉めてしまうので、食堂を探すのに苦労した結果、午後4時半位に池田食堂でかつ丼を食べる結果となった。
これでは夜が持たないので、大サイズの焼き鳥を2本買って今夜に備えた。
宿である密厳院は一流ホテル並みで、部屋数も多く室内も広くて綺麗で、風呂もぬるめに設定されていて、気分よく長風呂できた。
ちなみにこの密厳院は根来寺の創設者である覚鑁が開設した寺で、覚鑁関連の寺は高野山では密厳院だけとのこと。
夜の高野山はやはりかなり冷え込んで、ストーブなしでは居られない寒さだったが、睡眠については全く支障なく快適に眠れた。
朝飯前に密厳院での勤行に参加して、30分ほど宿を共にした方々と御住職のお経を聞いていたが、やはり心配していたとおり両足がしびれてしまった。
勤行が済んでから御住職と数分話した。
ここに宿泊した理由である「覚鑁という人物に興味があり、根来寺を訪ねたりした。この寺が高野山で覚鑁の住んでいた寺だと知って、迷うことなくこの寺に宿泊した。」と話すと、御住職は「良く勉強しておられる」と褒めてくれた。
興味を持って接している覚鑁のことについて、覚鑁の開設した寺の御住職と話すことができてうれしかった。
勤行のあとは密厳院の精進料理の朝食であるが、やはり精進料理だけでは足りないので、昨夜の食べ残しの焼き鳥を食べてしっかり今日の行動の準備をした。
今日の午前中は、空海が造った真言宗のテーマパークである高野山の「精神」の中心である「奥の院」まで歩くことにしている。
その前に密厳院向かって左隣に造られている苅萱堂を見学した。
苅萱(かるかや)とは、出家した武士苅萱道心とその息子石道丸にまつわる物語である。
物語の発端だが、武士加藤左衛門尉繁氏は妻と妾の醜い嫉妬心を見て世の無常を感じ、領地と家族を捨てて出家し、苅萱道心と号して法然のもとで修行し、高野山に登った。
苅萱堂には額に入った物語画が、物語の順に壁に掛けられている。
苅萱道心の息子である石童丸は母とともに父親探しの旅に出て、父親らしい僧が高野山に居ると聞き、一人で山に登って偶然父親である等阿法師に出会うが、父親は「あなたが尋ねる人はすでに死んだ」と偽りを言ったので、石堂丸は高野山から戻った。
石童丸が高野山から戻ると母親は長旅の疲れが原因ですでに他界していた。頼る身内を失った石童丸はふたたび高野山に登り、父親である等阿法師の弟子となり、互いに親子の名乗りをすることなく仏に仕えたという哀しい話である。
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