上下エジプトの話
1 上下エジプト
古代エジプトを指す時、よく「上下エジプト」という言い方をするが、これは「ナイル上流(エジプトの南のほう)」と「ナイル下流(エジプトの北のほう)」を意味する言葉で、両方あわせて「エジプト全土」、つまり日本でいうところの「東日本」「西日本」と同じ意味。
この表現は古い時代から使われており、エジプトのファラオの称号に「上下エジプトの王」というものがあったり、「上エジプトの冠」(白冠)、「下エジプトの冠(赤冠)」をあわせた「二重冠」が王の正式な冠として使われていたりする。
上エジプトはエジプトの南のほうなのでアフリカ内部に近く、いわゆる「アフリカ」のイメージに近いサバンナなどとの接触を持つ。下エジプトはエジプトの北のほうなので海に近く、地中海世界に面している。両者が分かれるのが現在の首都カイロ付近。
その2 下エジプト
下エジプトは、カイロ付近を頂点とするナイル川の創りし巨大な三角形、「ナイルデルタ」地帯。
下エジプトには、観光名所として誰もが知るギザやカイロはもちろんのこと、太陽の町として知られていたヘリオポリス、メンフィス、その近くにはサッカラやダハシュールといった、ピラミッド群の中心地がある。
上流にアスワン・ダムとアスワン・ハイ・ダムの二つのダムが出来るまで、毎年ナイルの増水によって堆積土が運ばれていたこと、過去に何度も支流の流れが変わっていることから、遺跡の多くが土や泥に埋もれたり、水の侵食で崩壊したりしており、発掘が困難な地域。
古代エジプト王国の初期、および新王国時代には、首都が上エジプトにあったが、以降は地中海世界とのつながりが重要視され、現代に至るまで下エジプトに首都が置かれていた。
下エジプトには、観光名所として誰もが知るギザやカイロはもちろんのこと、太陽の町として知られていたヘリオポリス、メンフィス、その近くにはサッカラやダハシュールといった、ピラミッド群の中心地がある。
上流にアスワン・ダムとアスワン・ハイ・ダムの二つのダムが出来るまで、毎年ナイルの増水によって堆積土が運ばれていたこと、過去に何度も支流の流れが変わっていることから、遺跡の多くが土や泥に埋もれたり、水の侵食で崩壊したりしており、発掘が困難な地域。
古代エジプト王国の初期、および新王国時代には、首都が上エジプトにあったが、以降は地中海世界とのつながりが重要視され、現代に至るまで下エジプトに首都が置かれていた。
プトレマイオス朝時代には、有名なアレキサンダー大王の築かせた港町、アレクサンドリアが王国首都として機能していた。
レオントポリス
ギリシャ語名で、意味は「獅子の都」。獅子の姿をした戦神マヘスの守護する土地。
ブバスティス
女神バステトの守護する土地。リビア人王朝の首都として機能した時代もある。
アヴァリス
エジプトに侵入したヒクソス人が首都としたところ。ヒクソス人は西アジアからやってきたので、進入路に近い場所に首都がある。
ヘルモポリス・パルヴァ
上流のヘルモポリスと同じく、トト神の神殿があった宗教都市。上エジプトエリアにあるヘルモポリスのほうが本家。
サイス
首都になったこともある古い都市。女神ネイトの故郷。古代名は「ザウ」、現代名は「サ・エル=ハジャル」。
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