旅人かへらず 西脇順三郎

旅人は待てよ

このかすかな泉に

舌を濡らす前に

考へよ人生の旅人

汝もまた岩間からしみ出た

水霊にすぎない

この考へる水も永劫には流れない

永劫の或時にひからびる

ああかけすが鳴いてやかましい

時々この水の中から

花をかざした幻影の人が出る

永遠の生命を求めるは夢

流れ去る生命のせせらぎに

思ひを捨て遂に

永劫の断崖より落ちて

消え失せんと望むはうつつ

さう言ふはこの幻影の河童

村や町へ水から出て遊びに来る

浮雲の影に水草ののびる頃


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永劫の根に触れ

心の鶉の鳴く

野ばらの乱れ咲く野末

砧の音する村

樵路の横ぎる里

白壁のくづるる町を過ぎ

路傍の寺に立寄り

曼陀羅の織物を拝み

枯れ枝の山のくづれを越え

水茎の長く映る渡しをわたり

草の実のさがる藪を通り

幻影の人は去る

永劫の旅人は帰らず

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