大晦日の光景

昔々のその昔、ネットで知り合ったるるさんのお話。

この方は小説家も出来そうな方で、人をひきつける話を書くのがうまい。


大晦日の光景


若い頃、大晦日になると一人で上野の「アメ横」に行くのが習慣だった。

別にそこでお正月の買出しをするわけではない。

通りに沿ったガラ空きの喫茶店に入る。

その2階の窓のガラス越しに、煙草片手に買出しでごった返す人波を眺めているのが好きだった。

いや、好きというのは語弊があるかもしれない。
見ずにはいられなかっただけのことだ。

若さというのは、生活というものと少し離れたところに自分がある。

暮れになると途端に忙しく動き回る人々の極限がそこにあり、特に31日の大晦日は、嗄れたセリ売りの大声が交差する中で、目の前に迫った新年という目的に向かって形振りかまわず買い物に勤しむ人々が、何千、何万人と列をなす。

不思議な光景。 ただそれを見ていたかったのだ。

いろんなことを考えたかったのだ。

そして、散々眺めて日が暮れかけた頃、自らその人ごみの中に紛れ込む。


今年の大晦日を家で過ごしながら、TVのニュースでアメ横の賑わいを観ているうちに、その頃の自分を思い出していた。

何故なのだろう。人ごみの中での妙な高揚感と孤独感。

その後の帰りの電車の中での虚無感と発熱。

決まって大晦日の晩に寝込み、家族と、あるいはひとりで過ごすお正月を鬱々とした気分で迎えなければならないことを知っていながら、やはり毎年行ってしまう自分。

この頃の癖が今も残っているのか、5年に一遍くらいしか風邪もひかないほど丈夫な私が、大晦日の晩になると必ずちょっと熱っぽくなり、具合が悪くなる。



人が嫌いで人が好き。

この性分も未だに引きずっている。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック