金沢紀行 その20 卯辰山山麓まで歩く


 犀川河畔の寺町界隈から、浅野川河畔の浅野川大橋近辺にある立花北枝宅跡へ行った。
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北枝は江戸中期の俳人で蕉門十哲の一人である。

通称研屋源四郎と言われて、初め貞門に俳諧を習ったのち、おくのほそ道の旅で金沢に来訪した芭蕉に入門し、芭蕉の教えをかきとめた山中問答を著した。

 北枝はその居を転々としており、旧観音町(現・東山)に始まり、ここ下新町や春日町に住み、そこに「源意庵」を構えていた。
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 芭蕉が訪れたのはこの下新町説が有力で、ここで芭蕉の「あかあかと日はつれなくも秋の風」が披露された。

 意味はこうである。

 「立秋も過ぎたというのに、夕日は相変わらず素知らぬふうに赤々と照りつけ、残暑はきびしいが、さすがに風だけは秋の気配を感じさせる。」

 もちろんこの句は、「秋来(き)ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」という古今和歌集の歌を念頭に置いて詠んでいるのである。

 このあと、この近くでカレーライスの昼食をとった。
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 これから浅野川大橋を渡って卯辰山山麓の宝泉寺に向かう。

 その途中に、ひがし茶屋街の中にある宇多須神社に立ち寄った。
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宇多須神社は1599年に2代藩主前田利長公が金沢城の鬼門の方角である現在地に、鬼門鎮護の神社として卯辰八幡宮を建て利家公の神霊を祀ったのが始まりで、明治の時代に宇多須神社と改称し現在に至っている。
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この宇多須神社の境内には3体の忍者の人形が設置されているということで、神社の回廊の下にじっと潜んでいるこの1体もその一つである。
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 これから宝泉寺へ向かうが、なかなかの急坂を登っていくことになる。


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