因幡と伯耆の旅 その27 上淀廃寺跡から白鳳の丘展示館へ

続いて塔のあった跡を見ていく。
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金堂跡の東側に南北に南塔、中塔、北塔の3基の塔跡があるが、北塔については塔の心柱を支える心礎は検出されたが基壇は未確認で、計画のみで建立に至らなかった可能性もある。
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計画のみとしても3塔を配置する伽藍配置の例は他になく、2塔でもこれらを南北に配置する古代寺院は他にない。
基壇の規模だが、金堂が東西14.2メートル、南北12.5メートルで、中塔・南塔はいずれも9.5メートル四方である。
金堂及び中・南塔の基壇は瓦積みの周囲に石列を設置する二重基壇で、百済の寺院に多く見られる様式である。
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金堂跡や南塔跡を見たあと、丘陵の頂上に上って、眼下の淀江平野を見下ろした。
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この方向からは弓ヶ浜が見渡せ、その先端部には境港や美保関があり、この頂上の景色は何時まで見ていても見飽きないのだが、いつまでもここにいる訳にはいかない。
ここを降りて、上淀白鳳の丘展示館に向かった。
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ここは米子市淀江町福岡の通称「伯耆古代の丘」に所在する資料館で、史跡上淀廃寺跡のガイダンス施設である。
遺物は、壁土約1,300点の他に、塑像約3,500点、瓦類(鴟尾含む)、土器、鉄器、金銅製品が出土している。
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 これは弥生土器の壺である。
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これは上淀廃寺跡から出土した礎石で、塔の心礎や建物の土台として用いられたようである。
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これは須恵器の椀で、朝鮮半島系という説明である。
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これは水鳥の形をした埴輪である。

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