探険家の歴史第3部 第3章  「東洋人の皮をかぶった西洋人」の国「ロシア」

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 一般的にはルーシの時代からロシアという国が始まったと考えられている。そのロシアが周辺の国々を従えてソ連体制を築いたのが1917年、この時ソ連(ロシア)の版図は歴史上で最大になり、事実上は世界の国の半分を支配していた。


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 このソ連(ロシア)に参加した国々は、15共和国を数える。


 中央アジアでは、ウズベク共和国、タジク共和国、キルギス共和国、トルクメン共和国、カザフ共和国。


 コーカサス地方では、グルジア共和国、アゼルバイジャン共和国、アルメニア共和国。


 東ヨーロッパでは、ウクライナ共和国、ホワイトロシア共和国、モルダビア共和国。


 そして、北欧バルト海では、エストリア共和国、ラトビア共和国、リトワニア共和国である。


 この歴史上でも稀な程の政治的・軍事的な強国となったロシアが、アジア人種(朝青龍や白鵬の先祖であるチンギス・カンのモンゴル人)に支配されていた時代があった。


 そして、その歴史的事実が、「東洋人の皮をかぶった西洋人」と言われるロシア人の国民性を作る事になろうとは・・・・。


 結論から言えば、ロシアは、チンギス汗の果せなかった世界征服の野望を、近代的生産力と共産主義の力で果そうとした国である。


 ロシア人は20世紀初頭に、世界に先駆け、モンゴル帝国にも似た「ソビエト社会主義共和国連邦」という大共産主義国家を生み出した国。


 ロマノフ王朝時代のロシアはシベリア平原を東進し、太平洋(ベーリング海やオホーツク海を含む)に到達したが、その300年も前に、手本としたチンギス・ハンを始祖とするモンゴル帝国は、シベリア平原の南に位置する中央アジア高原を西進し、ルーシの国々に攻め入った。


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 ロシアの大地はアジアの平原と地続きだが、モンゴル人が初めてロシアの大地に出現したのは1223年のこと、中央アジアのホラズム帝国征服の一環としてルーシにまで遠征した。(ホラズム・シャー朝(ぺルシア語: خوارزم شاه Khwārazm Shāh);、アム川下流域ホラズムの地方政権として起こり、モンゴル帝国によって滅ぼされるまでに中央アジアからイラン高原に至る広大な領域支配を達成したイスラム王朝) 


 シルクロードの入り口で陣取る西夏を征服中に、チンギス・カンは1227年秋に66歳の生涯を終えた。(西夏;7世紀~13世紀ごろに中国西北の四川省北部・青海省などで活動したチベット系民族タングートの建てた国。前身は周の文王に協力して殷打倒に大功を上げた姜(チャン)族、羌は古代より中国北西部の青海で遊牧生活を営んでいた。その「羌」字の象形は、牧羊する人を指していると言われる。

 2008年の四川大地震で激しい被害を受け、姜族の文化は保護復興事業の対象にされている。

 作家の井上靖氏はこの姜がお気に入りで彼の小説や詩には頻繁に登場する。)


 その後モンゴル帝国は、彼の長男ジョチの次男バトゥを総司令官とする大規模な西方遠征軍を派遣し、1240年代にはほぼ全ルーシを制圧し、モンゴル帝国の支配下とした。


 バトゥを家長とするジョチ家の所領はカザフ草原から黒海沿岸低地にいたる広大なキプチャク草原にまで拡大した。


 ジョチ家の所領(ジョチ・ウルス)はこの後次第に緩やかな連邦に傾斜していく帝国内での自立性を強めたため、キプチャク・ハン国とも呼ばれる。


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 モンゴル人は遊牧民の方法でロシアを支配した。


 彼らはロシア人を家畜の地位に置き、モスクワ大公ほかルーシの大公をシェパードとして使い、ロシア人から税金を搾り取った。


 この支配構造と図式は、その後もロシアの支配者に受け継がれ、結果として良かったのか悪かったのかしらないが、とうとう20世紀に「ソビエト社会主義共和国連邦」を実現した。


ここで、質問です。


あなたは、次の世界征服者のうち、誰が一番好きですか?その理由も書いてね。


①  アレキサンダー大王

②  チンギス・カン

③  ナポレオン  

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