金沢紀行 その18  「松尾芭蕉と城下町金沢」の旅の始まり

2017522()から2017524()までの2泊3日の金沢の旅の、今日は最終日である。
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旅の初日の夜のテレビで、「松尾芭蕉と城下町金沢」というタイトルのパンフレットが金沢市から出ていることを知り、急きょ3日目の日程を変更した。
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今日の日程は従って、金沢での芭蕉の足跡を訪ねる旅となる。
芭蕉は出羽、越後、越中と日本海側に沿って奥の細道を歩き、7月15(陽暦8月29)に加賀の国に入った。
芭蕉の金沢滞在は910日で、活動拠点を犀川大橋に近い2軒の宮竹屋に置き、浅野川界隈、寺町界隈、野田山、金石へと足を運び、金沢俳壇の多くの俳人たちと交流を深めた。
交流のあった俳人たちは、北枝、牧童、小春、一泉、句空、雲口等である。
金沢での芭蕉の足跡を訪ねる旅ではまず、金沢での活動の中心拠点となった片町の2軒の宮竹屋跡を訪ね、それから犀川大橋を渡って寺町界隈に入る。
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 黄⇓の⑤~⑨までの場所を訪れることになる。
 今日の旅のスタートであるが、金沢駅前からバスに乗り片町に降車した。
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 バス停からさほど離れていない場所に、石標「芭蕉の辻」が建っていた。
 この石標は1978年に金沢市芭蕉遺跡保存会が建立したもので、高さは60cmあり、正面の「芭蕉の辻」の字は当時の金沢市長である岡良一氏の筆による。
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 金沢での活動の中心拠点となった片町の2軒の宮竹屋跡のうち薬種業を営んでいた本家宮竹屋伊右衛門家跡は、今は北國銀行片町支店となっている。
 この本家には俳人小春が養子として入っていて、芭蕉はここで12泊した。
 分家の宮竹屋喜左衛門家は旅人宿本陣をやっていて、芭蕉はこちらの家で67泊した。
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 今の分家跡は、このような巨大なビル群となっている。
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 片町を見終え、犀川にかかるこの犀川大橋を渡り、寺町界隈に入っていく。

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