奈良散歩 その32 すゐえんの あまつをとめ


東塔があまりにも有名なので、薬師寺は東塔からスタートしたが、ここで薬師寺の歴史等についてふれていく。


薬師寺は680年に天武天皇が後の持統天皇である鵜野讃良(うののさらら)皇后の病気平癒を祈願して薬師寺の建立を発願、飛鳥の藤原京の地に造営が開始され、平城遷都後の8世紀初めに現在地の西ノ京に移転した。


薬師寺は興福寺とともに法相宗の大本山で、開基は天武天皇であり本尊は薬師如来、南都七大寺(東大寺華厳宗、興福寺 法相宗、元興寺 真言律宗、大安寺 高野山真言宗、 西大寺 真言律宗、薬師寺 法相宗 、法隆寺 聖徳宗)のひとつに数えられている。


1998年に「古都奈良の文化財」の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。


薬師寺は973年の火災と1528年の筒井順興の兵火で多くの建物を失い、奈良時代の建物は東塔を残すのみである。



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 金堂や西塔などの再建は1960年代以降に高田好胤が中心となって写経勧進による白鳳伽藍復興事業が進められ、1976年に金堂が再建され、西塔は1981年、中門、回廊の一部も再建され、2003年には大講堂が、2017年5月には修行・食事に使われる食堂(じきどう)がほぼ完成した。



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 この建物は1976年に再建された伽藍の中心に位置する金堂で、裳階(もこし)をつけたたたずまいがあまりに美しいので龍宮造りと呼ばれている。

それでは金堂に入っていく。



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 金堂の本尊は薬師三尊像である。

薬師如来を中心に向かって右が日光菩薩、向かって左が月光菩薩で、像高は薬師如来254.7cm、日光菩薩317.3cm、月光菩薩315.3cmである。


本尊ではあるが、そう印象に残ることもなく、すぐに金堂を出た。


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 金堂を出て右手の方に歩いて行くと、佐佐木信綱の歌碑が立っていた。

ゆく秋の 大和の国の 薬師寺の 塔の上なる 一ひらの雲


歌の意味はこんなであろうか。


秋がもう終わりをつげようとしている頃、大和の国の古い御寺薬師寺を訪ねて来てみると、美しい形相を誇って高くそびえる宝塔の上には、一片の白雲が静かに浮かんでいて、旅愁をいっそう注がれる。


僕の旅「奈良散歩」も同じ時期なので、この歌の旅情が身近に感じられて、少しここに立ち止まった。


佐佐木信綱の歌碑の隣に会津八一の歌碑もあった。


旅の前半は司馬さんに助けられての旅となったが、旅の後半は今回の旅の両輪である会津八一に助けられての旅となりそうである。



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 すゐえんの あまつをとめが ころもでの ひまにもすめる あきのそらかな

歌の意味はこんなであろうか。


(塔の先端にある)水煙の(透かし彫りになっている)天女の(羽衣の)袖のすき間にも澄んで清らかな秋の空であることよ。


西塔の近くに歌碑が立っているので西塔を詠んだ句かと最初は思ったが、会津八一の歌も佐佐木信綱の歌も、どうやら有名な東塔を詠んで作った歌のようである。(ネットで確かめたが、東塔の方で間違いない。)



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 会津八一の歌碑の近くには、こんなりっぱな「すゐえんの あまつをとめ」の石碑まで建てられていた。

 これからの旅の中では、会津八一の歌碑に始終出会いそうである。

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