韓のくにの旅 韓の国の旅その33  高句麗鍛冶屋村を見学その2 檀君神話

村を見学しながら、太王四神記の話を進めていこう。
物語の主人公であるタムドクという人物は、檀君神話から発想が出ている。
檀君神話については歴史認識問題ということで諸説が流れているので、学問的に解釈したということで、島根大学外国語教育センターの関連記事から借用する。

太古の昔、桓因(ファンイン)という天帝の庶子に桓雄(ファンウン)がいた。
桓雄が常に天下の人間世界に深い関心をもっていたので、天符印三筒を与えて天降りさせ、人間世界を治めさせた。
 部下3000人を率いた桓雄は、太伯山(テベクサン)上の神壇樹(シンダンス)下に下りて神市(シンシ)とした。

かれは風伯、雨師、雲師をしたがえて穀・命・病・刑・善・悪をつかさどり、人間の360余事を治めさせた。
 このとき一匹の熊と一匹の虎が洞窟で同居していて、人間に化生することを念願していた。
桓雄は一把のヨモギと20個のニンニクを与えて、100日間日光を見ないように告げた。熊は日光を避けること37日目に熊女(ウンニョ)になったが、虎は物忌みができず人間になれなかった
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8角テーブルのある建物(タムドクたちがここで会議、ヨン様もどれかに座った。)

桓雄は人間に化身した熊女と結ばれ、檀君王倹(タングンワンゴムを産んだ。
檀君は中国の堯帝が即位して50年目の庚寅の年に、平壤を都として朝鮮と呼んだ。のちに都を白岳山の阿斯達(アサダル)に移して、1500年間も国を治めた。
 周の武王が即位した己卯年に、箕子(キジャ)を朝鮮に封ずると、壇君は阿斯達からかくれて山神となった。寿命が1908歳であった。(姜在彦『朝鮮儒教の二千年』01朝日選書)
北方アジア原住民たちの巫俗神話では、熊が人間であり、人間がまさに熊であるという観念が根づいている。このような観念は、日本のアイヌ族においてもみられる。
 
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   向こうに鍛冶場と水車が見える。ここで刀を造った。

 「熊との交婚はウラル諸族を除いても、ツングース諸族のほぼ全域と、朝鮮、ニヴフ、イテルメン、アイヌと中国に見られ、分布が極めて広い」(大林太良「朝鮮の檀君神話とツングースの熊祖神話」『東アジアの王権神話』84弘文堂 p.369)。
 
熊は冬眠により洞窟の中でいったん死んだ後再生する。それはアマテラスの岩戸入りとも通じる死と再生のイメージである。

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                               鍛冶場と水車の前で

多くの神々は天から降下したか、天を往復することのできる権能をもっていた。桓雄は、世界木をつたって地上に降りてくる北方アジアシャーマニズムの神々の面影そのものである。

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