近江街道をゆく その16 継体関連の鴨稲荷山古墳を見学
これから継体天皇の先祖の血を訪ねる旅に出るが、その場所は近江高島市である。
高島市内には、364を数える「埋蔵文化財」が存在しているが、その中に継体天皇関連遺跡も沢山含まれている。
ここ高島は、現天皇家の直接の祖先でヤマト王権の主要な血ともなった継体天皇の祖先や、その妃となった人々の住んでいた地である。
継体天皇関連遺跡だけでも数多く存在していて見所が多いので、この旅では赤字Aの鴨稲荷山古墳周辺と、赤字Bの彦主人王墓周辺の2ケ所を見ることにした。
まず、赤字Aの高島歴史民俗資料館を目指して30分程レンタカーを走らせた。
高島歴史民俗資料館は滋賀県指定史跡となっている鴨稲荷山古墳の近くに昭和56年10月に開館した。
さっそく中に入った。
高島が継体天皇(大王)ゆかりの地ということで、現在は既にその痕跡すらない墳丘長約50メートルほどの前方後円墳であったと推定される鴨稲荷山古墳の模型や、継体天皇の父親である彦主人王の墓とされている田中王塚古墳に関連する写真などが展示されていた。
このスペースでは右方に、1902年の県道改修工事に伴って発見され掘り出された家形石棺が写っている展示パネルが置かれ、左方に副葬品として発掘された復元宝冠と飾履が置かれていた。
復元宝冠と飾履はまことに豪華で、出土したこれらの副葬品から朝鮮半島との強い交流が見られ、墓の被葬者はこのあたりを支配し継体天皇を支えた三尾君(三尾氏)首長の墓であると推定されている。
三尾氏は継体の父や継体に姫を差し出した古代豪族であった。
現在これらの副葬品の本物は東京国立博物館に保存されており、家形石棺は現地の覆屋内で保存されている。
これから、家形石棺の置いてある鴨稲荷山古墳跡地を見に行く。
ここが高島歴史民俗資料館のすぐ隣にある鴨稲荷山古墳跡地である。
細長く石の積まれた後ろのスペース全体が鴨稲荷山古墳跡地で、ここに現在は既にその痕跡すらない墳丘長約50メートルほどの前方後円墳があった。
家形石棺はプレハブの建家の中に入っているという。
プレハブの中を覗くと、かっては豪華な副葬品が詰まっていた家形石棺が置かれていた。
残念ながら直接この中に入れなかったが、大王級の方の重厚な気配だけは少しではあるが感じることが出来た。
大王級の方の眠っている近くで、コンビニで買った1000円もしない上生寿司を食べて、それが庶民である僕の贅沢な昼食となった。
次の目的地へ向かうために鴨川を渡る時、ここに架かる橋の名が天皇橋となっていることに気づいた。
もとは天王橋と呼ばれていて、鴨稲荷山古墳の発見後に継体天皇ゆかりの地の意味を込めて、天皇橋と改称されたとのことである。
天皇橋の高欄には、鴨稲荷山古墳出土の飾大刀に施されていた直弧文が飾られていた。
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