茶の本 全文紹介 第2章 茶の庶流 NO3(k)

 第五章において陸羽は茶のたて方について述べている。
 
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 彼は塩以外の混合物を取り除いている。
 彼はまた、これまで大いに論ぜられていた水の選択、煮沸の程度の問題についても詳述している。
 彼の説によると、その水、山水を用うるは上、江水は中、井水は下である。

 煮沸に三段ある。
 その沸、
魚目のごとく、すこし声あるを一沸となし、縁辺の湧泉蓮珠のごとくなるを二沸となし、騰波鼓浪を三沸となしている。

 団茶はこれをあぶって嬰児の臂のごとく柔らかにし、紙袋を用いてこれをたくわう。
 初沸にはすなわち、水量に合わせてこれをととのうるに塩味をもってし、第二沸に茶を入れる。
 第三沸には少量の冷水をかま(鍑)に注ぎ、茶を静めてその「
」を育う。
 それからこれを茶碗に注いで飲むのである。
 これまさに神酒! 
晴天爽朗なるに浮雲鱗然たるあるがごとし
 
その沫は緑銭の水渭に浮かべるがごとし
 唐の詩人廬同の歌ったのはこのような立派な茶のことである。
 
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一椀喉吻潤い、二椀孤悶を破る。
 三椀枯腸を
さぐる。惟う文字五千巻有り。
 四椀軽汗を発す。平生不平の事ことごとく毛孔に向かって散ず。
 五椀肌骨清し。
 六椀仙霊に通ず。
 七椀吃し得ざるに也(また)ただ覚ゆ両腋習々清風の生ずるを。蓬莱山はいずくにかある。玉川子この清風に乗じて帰りなんと欲す。

 茶経の残りの章は、普通の喫茶法の俗悪なこと、有名な茶人の簡単な実録、有名な茶園、あらゆる変わった茶器、および茶道具のさし絵が書いてある。
 最後の章は不幸にも欠けている。

 茶経が世に出て、当時かなりの評判になったに違いない。

 陸羽は代宗(763-779)の援くるところとなり、彼の名声はあがって多くの門弟が集まって来た。
 通人の中には、陸羽のたてた茶と、その弟子のたてた茶を飲み分けることができる者もいたということである。
 ある官人はこの名人のたてた茶の味がわからなかったために、その名を不朽に伝えている。

 宋代には抹茶が流行するようになって茶の第二の流派を生じた。
 茶の葉は小さな臼で挽いて細粉とし、その調製品を湯に入れて割り竹製の精巧な子箒でまぜるのであった。
 この新しい方法が起こったために、陸羽が茶の葉の選択法はもちろん、茶のたて方にも多少の変化を起こすに至って、塩は永久にすてられた。

 宋人の茶に対する熱狂はとどまるところを知らなかった。
 食道楽の人は互いに競うて新しい変わった方法を発見しようとした、そしてその優劣を決するために定時の競技が行なわれた。
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 徽宗皇帝(1101-1124)はあまりに偉い芸術家であって行ないよろしきにかなった王とはいえないが、茶の珍種を得んためにその財宝を惜しげもなく費やした。
 王みずから茶の二十四種についての論を書いて、そのうち、「白茶」を最も珍しい良質のものであるといって重んじている。

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