探険家の歴史 第1部 その2 北極点を目指した男たち
人類拡散の歴史を逆方向から辿った関野を1番目に取り上げたが、2番目は北極点を目指した探険家で、西洋人として最初に北極点に到達したロバート・エドウィン・ピアリー、そして日本人からも、河野兵市を紹介する。
北極点探検の歴史は、大航海時代の頃から、探検家の足跡が歴史として残っており、まず、オランダのバレンツあたりからスタートしたい。
1596-97年 バレンツ(オランダ)
ノバヤゼムリア探検
最北緯度79?40?到達
1607-10年 ハドソン(英) (名前が地名になっているようです。)
ハドソン湾最北緯度80?23?到達
1733- ベーリング(ロシア)
ベーリング海域(名前が地名になっているようです。)
1827年 ウィリアム・パリ またはバーリーと表記(英)
スピッツベルゲン最北緯度82?45?
この到達記録はその後長い間破られなかった。
( 2度緯度を上げるのに200年かかってる。1度で100年、気が遠くなりますね。)
1875年 マルカム(英)
北氷洋
最北緯度83?20? ジョージ・ネアズ大尉が率いるイギリス探検隊はポーツマスを出発、1876年そのマーカム支隊がN83?20?に到達。帰還するまでに17カ月を要した。
1893-95年 ナンセン(ノルウェー)
北氷洋 最北緯度86?13.6?
そして、今回紹介のピアリーです。
1908-09年 ロバート・エドウィン・ピアリー(米)
ルーズベルト号で冬の到来前に氷海の北に入り、翌年の早春にエルスミア島コロンビア岬を出発し、極点の手前153マイルまでルートを作り、その後、黒人のヘンソンと二人(4人という文献もある)のエスキモーとで犬ぞりを使って5日間の強行軍で4月6日N89?57?に達し、この日北極点にアメリカ国旗を打ち立てた。
ピアリーは23年目に悲願を達成した。(なお、現在は到達として公認されているが、ピアリーの到達点はN89?55.24?であり、厳密には北極点ではなかった。
(今回のスマトラ沖地震でも地軸が動いて北極点が数百メーター移動したそうです。 このくらいはいいよね。)
ロバート・エドウィン・ピアリー(Robert Edwin Peary, 1856年5月6日 – 1920年2月20日)は、アメリカペンシルバニア州クレソン生まれの探検家。
西洋人として最初に北極点に到達した。(ただし現地の住民ははるか昔からこの領域で活動していた。)
1891年から1897年に掛けて4度にわたるグリーンランド探検を行う。
1898年に初めて北極点到達に挑戦するが失敗し、凍傷で足指8本を失う。
1906年に4度目の挑戦で北極点まで280kmの地点まで到達。
1909年4月6日、ピアリーら6名が北極点に到達。
北極点探検は、ほとんど命がけの探検であり、記録はしていないが、命を落とされた方も多い。なお、参考までに、日本人の探検家の足跡を掲載しておく。
1978年 植村直己(1941-84)
北極点単独踏破
1987年 風間深志
オートバイによる極点到達
1989年 和泉雅子 (有名な女優さんですよね、今はあまり出てないけど)
女性で初極点到達
そして、今回紹介の河野兵市です。
1997年 河野兵市
日本人初の北極点単独徒歩到達、世界で3人目
河野兵市は、1958年(昭和33年)4月12日、愛媛県西宇和郡瀬戸町川之浜で生まれた。
河野の家は、肉牛を飼っていたがやがてみかん農家に変った。子供の頃は、海岸で牛の世話をし中学時代からは1箱25kgのみかん箱を4箱背負い急な山道を歩いた。
隣町の高校へは、自転車で峠を三つ越え片道17kmの山道を通った。高校を出るまで、映画館にも喫茶店へも入ったことがなかった。
そんな青年だった。
ユーコン川いかだ下り 1982年(昭和57年)24才
マッキンリー登頂 1983年(昭和58年)7月 25才
北米大陸横断 1983年(昭和58年)8月 25才
アメリカ三大マラソンに挑戦 完走 1984年(昭和59年)26才
ナンガパルバットで負傷 1987年(昭和62年)29才
サハラ砂漠縦断 1990年(平成2年)32才
日本人初北極点単独徒歩到達 1997年(平成9年)39才
シーカヤックの旅(E・X・P TOKARA 沖縄-松山1,300km)1999年(平成11年)
41才
2001年 河野兵市 遭難・遺体発見
それは、彼のでっかい夢の途中の出来事だった。
冒険家河野兵市は、鮭が川に帰るように、「北極点から愛媛まで歩きたい」という素朴なきっかけから、2001年の現地時間3月26日北極点をスタートした。
地球のてっぺん 北極点から徒歩とシーカヤックで日本まで帰って来るという、6年間 約1万5千キロの壮大な旅。
3月26日北極点をスタート。5月17日、カナダ・ワードハント島の北80キロの氷上で消息を絶ち、24日遭難が確認された。(彼も、星野道夫と同じ年くらいで逝った。43歳)
命を落とすようなことが冒険じゃない。 冒険とは、自分のいるポジションから一歩前に踏み出す勇気だ。(彼は生前、こんなことを言っていたのだが。)
お出でいただき、ありがとうございます。やはり、探検家の平均寿命が気になります。
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