天塩川の旅 その2 今年は戦後最大の厄年
この日は9月18日(日)、そしてこの旅最大の難関は台風15号となった。
9月18日午前6時現在で予報された台風の進路であるが、今のところは沖縄に留まり、20日(水)あたりから速度を増して日本列島に近づくとの予報が出た。
9月18日午前6時現在で予報された台風の進路であるが、今のところは沖縄に留まり、20日(水)あたりから速度を増して日本列島に近づくとの予報が出た。
僕の旅は9月17日(土)から9月24日(土)までの7泊8日の旅、旅の後半は台風を真正面に迎えての旅となりそうな状況となってしまった。
いろんな行事と同じで、旅というものも天気が良ければ半分成功したと同じようなものである。
天気状況が悪化してくると、旅の困難は倍増どころではなく、3倍、4倍にも膨れ上がってくる。
今年の北海道は、山間部に限らず都会でもヒグマとの頻繁な遭遇が取り沙汰されているが、ヒグマに加えて大型台風の出現となり、旅の危険度はかなり増加してしまった。
士別駅について駅前風景を撮影していても、いつ降りだして来てもおかしくない天候の中での「天塩川源流地アタック」は不安の種を開花させるくらいの勢いである。
これから目指す行程は、天塩岳ヒュッテまで50km以上はある。
士別駅を出発して、上士別町を通過し、やや山間部の朝日町に入り、天塩川源流部のダム湖である岩尾内湖まで、天塩川上・源流部を東南東の方角に遡上する。
岩尾内湖の湖畔道路を上って下って約6~7km進み、平野部に出て、ここから天塩川源流の流れに沿いながら於鬼頭岳(1176m)のすそ野を左旋回しながら、天塩岳ヒュッテを目指し、そこに辿り付くという当初の計画である。
天塩川源流部(やたら橋ばかりが目立つ、異常増水すれば橋は交通止め?)
しかし、計画はあくまでも計画、あとは天候次第の旅である。
今はまだ北海道は台風の影響で活発化した前線付近の豪雨地帯には入っておらず、通常の9月の雨が、天塩川の源流部地帯で1時間後に本格的に振り出すという情報を、士別駅舎で得ていた。
結論として、今回の天塩川源流部アタックについては、常に危険度を考慮しながら、行けるところまで行ってみることにしようと決めた。
危険と感じたら即止めて、天塩川を下って平野部に戻ってくる、無理をすることは回避するのが僕の旅のスタイルである。
とにかく、今年はあまりに自然災害が多すぎた。
3月11日の東日本大震災のショックはずっと尾をひいたままで、あの日本の風景を逸脱した壮絶な津波の光景は今でも脳裏にはっきりと焼きついている。
しかし、計画はあくまでも計画、あとは天候次第の旅である。
今はまだ北海道は台風の影響で活発化した前線付近の豪雨地帯には入っておらず、通常の9月の雨が、天塩川の源流部地帯で1時間後に本格的に振り出すという情報を、士別駅舎で得ていた。
結論として、今回の天塩川源流部アタックについては、常に危険度を考慮しながら、行けるところまで行ってみることにしようと決めた。
危険と感じたら即止めて、天塩川を下って平野部に戻ってくる、無理をすることは回避するのが僕の旅のスタイルである。
とにかく、今年はあまりに自然災害が多すぎた。
3月11日の東日本大震災のショックはずっと尾をひいたままで、あの日本の風景を逸脱した壮絶な津波の光景は今でも脳裏にはっきりと焼きついている。
7月末には福島・新潟大水害が起こり、阿賀野川、信濃川の支流部の川で堤防決壊が続出し、増水のため橋が流されたり、橋の通行を数日に渡って禁止したりしていた。
8月末からの台風12号による紀伊半島豪雨も凄かった。
和歌山県、奈良県、三重県の被害は甚大で、奈良県十津川村では明治の水害で村が壊滅した事件を再び思い出させるような被害が出た。
日本の国は今年は戦後最大の厄年であるとはっきり言える。
それにまた追撃ちをかけるかのような台風15号の襲来、元寇並の驚異に襲われ中の今年の日本列島の現実風景、半分夢を見ているようでもある。
しかし、こんな日本の状況の中でも、一歩前へ進まないことには何事も始まらない。
日本のこんな状況を少しでも打破する気持ちが働いて、今回の旅は成立し、士別駅から源流地へ向けて、我が愛車をスタートさせた。
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