茶の本 全文紹介 第2章 茶の庶流 NO4
宋人の茶に対する理想は唐人とは異なっていた、ちょうどその人生観が違っていたように。
宋人は、先祖が象徴をもって表わそうとした事を写実的に表わそうと努めた。
宋人は、先祖が象徴をもって表わそうとした事を写実的に表わそうと努めた。
新儒教の心には、宇宙の法則はこの現象世界に映らなかったが、この現象世界がすなわち宇宙の法則そのものであった。
永劫はこれただ瞬時-涅槃はつねに掌握のうち、不朽は永遠の変化に存すという道教の考えが彼らのあらゆる考え方にしみ込んでいた。
興味あるところはその過程にあって行為ではなかった。
真に肝要なるは完成することであって完成ではなかった。
かくのごとくして人は直ちに天に直面するようになった。
新しい意味は次第に生の術にはいって来た。
茶は風流な遊びではなくなって、自性了解(じしょうりょうげ)の一つの方法となって来た。
王元之は茶を称揚して、直言のごとく霊あふらせ、その爽快な苦味は善言の余馨(よけい)を思わせると言った。
茶は風流な遊びではなくなって、自性了解(じしょうりょうげ)の一つの方法となって来た。
王元之は茶を称揚して、直言のごとく霊あふらせ、その爽快な苦味は善言の余馨(よけい)を思わせると言った。
蘇東坡は茶の清浄無垢な力について、真に有徳の君子のごとく汚すことができないと書いている。
仏教徒の間では、道教の教義を多く交じえた南方の禅宗が苦心丹精の茶の儀式を組み立てた。
僧らは菩提達磨の像の前に集まって、ただ一個の碗から聖餐のようにすこぶる儀式張って茶を飲むのであった。
この禅の儀式こそはついに発達して十五世紀における日本の茶の湯となった。
不幸にして十三世紀蒙古種族の突如として起こるにあい、元朝の暴政によってシナはついに劫掠征服せられ、宋代文化の所産はことごとく破壊せらるるに至った。
十七世紀の中葉に国家再興を企ててシナ本国から起こった明朝は内紛のために悩まされ、次いで十八世紀シナはふたたび北狄満州人の支配するところとなった。

風俗習慣は変じて昔日の面影もなくなった。
十七世紀の中葉に国家再興を企ててシナ本国から起こった明朝は内紛のために悩まされ、次いで十八世紀シナはふたたび北狄満州人の支配するところとなった。

風俗習慣は変じて昔日の面影もなくなった。
粉茶は全く忘れられている。
明の一訓詁学者は宋代典籍の一にあげてある茶筅の形状を思い起こすに苦しんでいる。
現今の茶は葉を碗に入れて湯に浸して飲むのである。
西洋の諸国が古い喫茶法を知らない理由は、ヨーロッパ人は明朝の末期に茶を知ったばかりであるという事実によって説明ができるのである。
明の一訓詁学者は宋代典籍の一にあげてある茶筅の形状を思い起こすに苦しんでいる。
現今の茶は葉を碗に入れて湯に浸して飲むのである。
西洋の諸国が古い喫茶法を知らない理由は、ヨーロッパ人は明朝の末期に茶を知ったばかりであるという事実によって説明ができるのである。
後世のシナ人には、茶は美味な飲料ではあるが理想的なものではない。
かの国の長い災禍は人生の意義に対する彼の強い興味を奪ってしまった。
かの国の長い災禍は人生の意義に対する彼の強い興味を奪ってしまった。
彼は現代的になった、すなわち老いて夢よりさめた。
彼は詩人や古人の永遠の若さと元気を構成する幻影に対する崇高な信念を失ってしまった。
彼は折衷家となって宇宙の因襲を静かに信じてこんなものだと悟っている。
天をもてあそぶけれども、へりくだって天を征服しまたはこれを崇拝することはしない。
彼は折衷家となって宇宙の因襲を静かに信じてこんなものだと悟っている。
天をもてあそぶけれども、へりくだって天を征服しまたはこれを崇拝することはしない。
彼の葉茶は花のごとき芳香を放ってしばしば驚嘆すべきものがあるが、唐宋時代の茶の湯のロマンスは彼の茶碗には見ることができない。
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