探険家列伝第1部 その3 南極点に魅せられた男たち・・・・男たちの熱き戦い!!


 南極の探検史をひもといてみる。

 南極探検の歴史は、20世紀初頭に命を賭けて,残された最後の大陸に挑んだ3人の男たちの存在抜きには語れない。それでは、男たちの勝負の舞台となった南極探検の歴史を調べてみる。

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1772~75年 キャプテン・クック(英) 初めて南極探検
(エンデバー号での太平洋の調査等や壊血病をビタミン摂取によって防ぐ事に成功した事でも有名。)

19世紀初頭、各国探検隊による領土宣言が相次いだ。

1841年  英国のロス隊が、いまロス海と呼ばれる海域に入り、ペンギンが群がる小島に上陸し、一帯を女王の名誉のためにビクトリア・ランドと命名。女王の所領と宣言した。

1901~04年 ロバート・スコット(イギリス隊)第一回南極探検(ディスカバリー号探検)を行った。(アーネスト・シャクルトンも参加)

1909年 アーネスト・シャクルトン、自ら南極探検隊を組織。ポニーが引くソリで南極点到達を目指すが、食料の欠乏のため、南極点まであと155kmまで迫った地点(南緯88度23分)で引き返す。

1910年 ロバート・スコット、 テラ・ノバ号にて第二回目の南極探検に出発する。(この探検には8000名の希望者から選抜された33名の上陸隊員が参加、世界初の南極点到達を目標としていた。
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 ロアルド・アムンゼン率いるノルウェー隊、フラム号にて南極に上陸し、南極点到達を目指す。


1911年10月 スコット隊、マクマード湾での越冬を終え、南極点に向け出発する。動力雪上車による先発隊が10月24日、そしてロバート・スコット率いる馬ソリ隊が11月1日に出発した。

 アムンゼン隊、これに先立つ10月19日に、より南極点に近いクジラ湾から犬ゾリ隊を率い、南極点を目指し出発した。

1911年12月14日アムンゼン隊、南極点に初到達。(犬ぞりです。 52頭の犬は、帰る時には11頭になっていた。残りの犬は射殺され、隊員達の食料になった。往復3000キロを98日間で走破。)

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 1912年1月18日、スコット隊、遅れて南極点に到達。人力です。 アタック隊の5名、馬を全部失いながら人力で到達、だが、そこにはノルウエーの国旗がひるがえっていた。

 初到達をアムンゼン隊に譲り、失意の内に帰路についたが、途中、猛吹雪に遭遇し一歩も動けなくなり、燃料、食糧が尽き全滅。)
   


  南極点初到達に賭けた、男たちの意地が伝わってきて、少々興奮気味です。

  全員死亡となり、悲劇のリーダーとなったスコットは、日記にこう書いている。


  ここは恐怖の場所です。せめて初到達という栄誉でもなければ。



  対照的に勝者となったアムンゼンは、当初北極点初到達を目指していたが、ピラリーに先を越され、途中で南極に目標を変えての勝利。スコットは南極を目指して入念な下準備を重ねてきた本命中の本命だけに、意外な結果に世界中が驚いたという。

  そして、全滅した理由についてもいろいろ言われているようだが、どうも食料の違いが明暗を分けたようである。

 アムンゼン隊は南極に生息する動物を食料としていたが、スコット隊は缶詰だった。当時の缶詰には、鉛が含まれていたから、鉛が食料に溶けだし、スコット隊は鉛中毒にかかっていたというのだ。(ちょっと怖い話しだね。)
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 ロアルド・アムンゼン(1872年7月16日 - 1928年6月18日?)
 ノルウェーの極地探検家。探検隊のリーダーとして南極点に初めて到達した。ノルウェーで海運業を営む家系に生まれたアムンゼンは、1888年のフリチョフ・ナンセンのグリーンランド横断に感動し、探検家としての志を固めた。

 ロバート・スコット(1868年~1912年)
 酒造家の長男として、イギリスで生まれた。1882年、父親の強制で海軍に入り、後に海軍士官となり、南極探検隊長に選ばれる僕はこの二人にも興味があるが、南極点を目指した第三の男、アーネスト・シャクルトンに、次回はスポットを当ててみたい。)

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