「播磨と淡路のみち」 その6 雲海の中の竹田城は見たかったが・・
花屋敷から南千畳へ向かう道の途中では、曲輪が段をなして続いていて迫力のある石垣が見られる。
ここの石垣は阪神淡路大震災でも被害がほとんど無かったという。

ところが、別の理由で黄四角の部分を修理することとなった。
その理由は観光客の増加である。
雲海の中の竹田城の写真が出る前までは、ここの観光客は毎年1万人程度だったのだが、写真が出てからは4~5年間で100万人の観光客が竹田城に押し寄せ天守台に上がったために、天守台下の石垣が前に押し出されて危ないので工事をすることとなったのである。

工事は穴太衆の末裔の方々である滋賀県の土木会社が、城の建設当時のやり方と同じようにやぐら2本とロープと滑車で修復作業を行った。
今村ガイドに1時間ほど説明いただき、南千畳で別れた。

ここは、今村ガイドが一番人気のあるスポットだと教えてくれた、南千畳から天守台の方を見る地点で、ここで絶景を楽しみながら今村ガイドがくれたアーモンド豆の小袋を食べ、ペットボトルの水を完全に2本飲み切った。
実は空腹のため今村ガイドと過ごした時間が苦痛になっていて、ガイドと別れてからが本物の竹田城散策となった。
もう一度北千畳まで写真を撮りながら散策し、楽しみにしていた竹田城をしっかり自分のものにし、頭の中に叩き入れることがやっとできた。

竹田城を去るにあたって残念だったのは、絶景の中で昼食を食べることができなかったことである。

山を下り、午後2時半頃に竹田駅前の「寺子屋」という町屋カフェで、遅い昼食を食べた。

食べたのは、この1100円のすき焼きランチである。
「寺子屋」での食事は、テレビで繰り返し放映される雲海の竹田城の動画を見ながらのものだった。
1年のうち一番雲海見物に都合のいいのは実は11月で、今日も午前10時半頃までは雲海の中の竹田城が楽しめたという。
竹田駅前でも雲海に浮かぶ竹田城の大きな看板が貼りだされていたが、この竹田城の姿を見れば、やはり観光客は大挙してやってくると確信した。

雲海の竹田城は、円山川を挟んで対岸の立雲峡から眺めたもので、竹田駅前からは写真の上の部分でわかる通り、まったく城郭は見えないのである。
帰路は特急で姫路まで帰った。
この記事へのコメント