越前と若狭の旅 その23 平泉寺白山神社拝殿などを歩く

アの白山神社社務所を出て、鬱蒼とした杉並木が両側にそびえ立っている、二の鳥居まで続く真っ直ぐな参道を歩いていく。

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地面の苔も見事だし、杉並木から降り注ぐ明るい光線も実に気持ちがいい。

凛とした気分のままで、静寂の世界を歩いていく。

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参道の脇に平泉寺の名前の由来になったという御手洗池があったが、立ち止まらないでそのまま参道をいく。

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5分ほどで、二の鳥居に到着した。


一之鳥居の形状が明神鳥居なのに対して、こちらの二之鳥居は山王信仰の象徴である山王鳥居の形態をとっていて、神仏習合時代の平泉寺白山神社の名残となっている。

山王鳥居の特徴は明神鳥居の上部に三角形の破風(屋根)が乗った形をしていて、仏教の胎臓界・金剛界と神道の合一を表しているとされる。

山王信仰とは、最澄が比叡山に天台宗を開いた折に、唐の天台山の守護神「山王元弼真君(さんのうげんひつしんくん)」にちなんで、既に比叡山の守護神としてご鎮座されていた日吉大神を「山王権現」と称した神仏習合の信仰のことである。

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二礼二拍手一拝で二之鳥居をくぐり、苔寺をほうふつさせるような清浄・深淵で高雅な空間に出た。

目の前には緑の屋根の古びた拝殿が建っている。

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この建物は司馬遼太郎の「街道をゆく 越前の諸道」の表紙も飾っていて、古格な風情が見ていて飽きが来なく、何人かの方が三脚まで持ち込んで、この辺りを撮影していた。

現在の拝殿は江戸時代の1859年に建てられた寄せ棟造りのもので、拝殿の入口に、中宮平泉寺と書かれた一品天真親王の筆による額が掲げられていた。

1574年の一向一揆の際に焼失した旧拝殿は、正面45間という我が国最大の拝殿だったそうで、現在も拝殿の左右には礎石の一部が苔の中から姿を見せている。

拝殿の後ろの急な石段を上がると、正面が本社で、本社の向かって右手には別山社、左手は越南知社があり、ここに白山三山の神がここにお祀りされている。

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この写真は別山社方向から三社を眺めたもの。

白山三山の神は、本殿に伊奘冊尊(いざなみ;いざなぎの妹であり妻)、本殿右の別山社に天忍穂耳尊(あまのおしほみみ;瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の父で、天照大神と素戔嗚尊(すさのおのみこと)が誓約をしたときに生まれた神)、左の越南知社に大己貴尊(大国主命)である。

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