耽羅紀行(済州島の旅) その9 耽羅王国の発祥の地「三姓穴」見学
乾始門の前で記念写真ということになった。
カメラマンのチョンさんの指示で、僕等ツアー客は、思い思いの位置に並んで記念写真に収まった。
ただ、カメラマンのチョンさんが仕事の都合だということで、初日だけしか同行できず、記念写真も僕等の手元には届かなかった。
左側の建物は案内舎で、ここにパンフレット等が並べられていたが、英語とハングルと日本語の案内パンフがあったので、日本語で「耽羅王国発祥地 三姓穴」と書かれていたパンフレットを手に取りさっと眼を通してから、ヤンガイドの後を急いで追った。
そしていよいよ、僕等のツアーは赤字Aの三姓穴に入って行く。
三姓穴は想像していたよりも貧相に見えた。
普通の広場に細い石柱が円形に立っている。
その中に三神人が生まれた三つの穴があるらしいのだが、普通の視線では穴は全く見えない。
ヤンガイドが、「向こうに写真があるので写真を見て確認してください。」と言ったので、案内写真の方へカメラを向けた。
やはり、かなり上方からでないと、三神人が生まれた三つの穴を見るのは無理なようで、しかも穴がある場所までは近づけないのだから、少々ガッカリとなった。
ヤンガイドの説明である。
ここは雪が降る場所だが、穴の周りだけは地熱のせいで雪が積もらない。
また、私たちの目には見えないけど穴の周りにはマイナスイオンが飛び交っており、身体にも良いのだと豪快に笑って話していた。
僕は三姓穴の石碑の下の亀趺(キフ)が気になった。
亀趺は台石の一種で、石碑を載せる台石を大亀の形にしたもの。
もともと中国の貴族階級の風習だったのが、江戸時代には日本でも取り入れられるようになったという。(儒教文化の李氏朝鮮も同じなのだろう。)
亀趺の亀は贔屓(ひいき)といい、龍の九子のうち龍になれなかった一子で、巨大な亀の形に似た想像上の霊獣だとされる。
「贔屓(ひいき)」は「贔屓にする」などと用いられる「贔屓」で、「一生懸命努力して力を出すさま」を意味するとされるが、それが「特別に便宜を図ったり、力添えをする」意味に使われるようになったもの。
この贔屓の力もあって、雪が積もらなかったり、身体にいいマイナスイオンがいっぱい出てくるのだろうと、僕なりに勝手に思った。
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