近江街道をゆく その40 甲賀流忍術屋敷を見学
紫香楽宮跡から15分ほど走って、甲賀流忍術屋敷に到着した。
ここは甲賀忍者53家の筆頭格にあたる望月出雲守の屋敷として300年前に建てられた。
外見は普通の屋敷と変わらないが、内部には忍者の住まいにふさわしく、侵入者から身を守る為のどんでん返しや落とし穴などさまざまな仕掛けが施されている。
まず、この座敷で20分ほどスライドを見たり職員の話を聞いたりした。
甲賀忍者が誕生したのは、中世の「鈎(まがり)の陣」が発端である。
足利幕府の命に背く佐々木六角高頼討伐のために、将軍足利義尚自ら大軍を率いて近江に来攻した時、甲賀の土豪(半農半武の有力農民)達が佐々木六角氏に助勢し、夜陰にまぎれ義尚の本陣に迫って火や煙を放つなどさまざまな奇襲攻撃をかけ、その神出鬼没の戦術や高い戦闘能力の印象により、「甲賀忍者」と呼ばれるようになったという。
その後の戦国時代には、各戦国大名を影から支えていった。
説明のあと、女性職員の案内で屋敷内を見て回った。
ここには忍者服も用意してあり、何人かの女性客は忍者服を着用して説明を聞いていて、彼女達が見ているのは、地下への抜け穴である。
抜け穴はこのようになっていて、屋敷の外に出られるようになっている。
ここは隠し戸で、戸を開けると隠し梯子があって、いざという時にここから2階に逃げられるようになっている。
隠し梯子を上ると、2階はこのようになっていて、ここにも忍者屋敷特有の仕掛けが沢山施されている。
ここも戸の向こうに1階へ逃げられる階段が設置されていて、敵といつでも戦えるように刀も設置されていた。
また天井には、黒装束の忍者人形や赤装束の忍者人形が張り付いていて、実際の戦いとなるとこのように身構えて、下を通る敵を襲ったのだろう。
特に忍者屋敷の主人の部屋には、このしのび窓のような脱出用や護身用のための沢山の仕掛けが作られていて、いろいろと面白かった。
この記事へのコメント