「司馬遼太郎とゆく10年の旅」 プロローグ その3
「司馬遼太郎の 街道をゆく」43巻の中身の旅をセレクトして、1年にほぼ3回実施してそれを10年間行うという、「司馬遼太郎とゆく10年の旅」の計画を、このように作成した。
予算は約500万、ほぼ5年間は今のレガシーで旅し、あとの5年はレンタカーと電車とバスで旅することにした。
そして、平成24年6月24日(火)、最初の「文庫本38;オホーツク街道」の旅が始まった。
この旅の当初の計画は下記のようであった。(大きくして見てね)
そして、平成24年6月24日(火)、最初の「文庫本38;オホーツク街道」の旅が始まった。
この旅の当初の計画は下記のようであった。(大きくして見てね)

この旅は本来6月に始まり6月に終わる予定であったが、この時期にしては珍しい大型の台風4号【平成24年台風第4号、アジア名:グチョル〔Guchol、命名国:ミクロネシア、意味:うこん〕、フィリピン名:Butchoy)は、2012年6月12日に発生した台風である。】が発生して、台風が日本から去り台風の余波が完全に消えるまで、5日間出発を延期した。

結果として、すべての日程において北海道ではこの時期として暑いくらいの好天に恵まれ、旅の全期間で快適な日々を過ごせることとなった。
荒天でも日程を無理やり消化するという荒業もしなくて良くなり、これから10年の旅を始めるにあたって幸先の良いスタートとなった。
旅は天気が一番、結果としてそう心から思えた旅となった。
この記事へのコメント