奈良散歩 その60 頭塔の周囲を一周
ガイド氏の説明は続く。
頭塔は各段に屋根があって、一番上に塔のある、この復元案のようなものだったのではないかと推測されている。
頭塔は建設当初は塔として造られていたという証拠に、一番上を発掘したら心柱穴と礎石が出てきた。
ガイド氏の説明はまだ続いているが、これから頭塔の周囲を一周することにする。
時間は午後二時を回った頃、影の形がこう出ているので現在は頭塔の北側にいるようで、これから西方向の頭塔を見に行く。
東大寺の二月堂に行った時のことや実忠のこのなどを再び思い浮かべながら、頭塔の周囲を歩いている。
東大寺の二月堂に行った時のことや実忠のこのなどを再び思い浮かべながら、頭塔の周囲を歩いている。
ここが西面である。
頭塔の各段には、浮彫(一部線彫)の石仏が配置されていて、石仏は当初は東西南北の各面に11基ずつ、計44基設置されていたものと推定されている。
ここは頭塔の南面で、ここ以外の東・西・北面の石仏は復元整備後に屋根付きの壁龕に安置されているが、南面の石仏は土の上に直接置かれているという。
ここが頭塔の東面である。
頭塔は実忠が指揮して建造したものだが、奈良国立文化財研究所の発掘調査で、その下層にさらに一時期古い三重の土塔が発見され、正倉院文書「造南寺所解」から760年に別の人物により造営されたものと判定した。
それは6世紀の古墳を破壊してその上に築造したもので、実忠の建造はそれを引き継いで改修して塔身自体はほとんど解体して造りなおしたうえ完成させたものとみられる。
頭塔は実忠が指揮して建造したものだが、奈良国立文化財研究所の発掘調査で、その下層にさらに一時期古い三重の土塔が発見され、正倉院文書「造南寺所解」から760年に別の人物により造営されたものと判定した。
それは6世紀の古墳を破壊してその上に築造したもので、実忠の建造はそれを引き継いで改修して塔身自体はほとんど解体して造りなおしたうえ完成させたものとみられる。
実忠の改修は、その前から765年に良弁の命で東大寺の南の春日谷に堤・池を造っていて、元の東大寺領の境から、さらにその南の丘陵全体の開発をして、東大寺の南方への寺域の拡張を目指したものと指摘している。
そういう説明であれば、この地に頭塔が建設された理由も理解できる。
見たかったものを見れて、無事に今日の全日程が終了した。
そういう説明であれば、この地に頭塔が建設された理由も理解できる。
見たかったものを見れて、無事に今日の全日程が終了した。
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