「最上川とおくのほそ道の旅」プロローグ

 2007年(平成19年)の「日本最長10河川の旅」は最上川と阿武隈川となった。
 まず、最上川の旅から始まる。
 最上川は隣県の山形県だけを流れる川ということで、旅行や釣りで度々訪れているが、正確に何回最上川に遭遇したかは曖昧なところがあり、はっきりとは言えない。
 2007年のこの最上川の旅以前の旅のこととなると、はっきりと思い出すのは二つの旅だけである。
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 一つ目は、1970年(昭和45年)の大学1年次に挙行した原付での山形県一周2泊3日の旅である。
 この大学1年目の「山形県一周旅行」は、1回旅館に泊まっただけで費用的にはガソリン代も含めて2万程度で済ませ、知り合いの家庭教師をして、そこから旅行代を捻出した。
 二つ目は、1996年(平成8年)5月25日〜26日の1泊2日の「渓流釣り教室」での山形県釣行の旅である。
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 最上川の支流の白川で釣行し、同行の新潟県渓流釣り協議会の方から手ほどきを受け、やっとの思いでヤマメをゲットした記憶がある。(宿泊は、確か赤倉温泉だったと思うが、記憶はおぼろで、何もかもあいまいである。)
 それでは2007年の源流釣行の旅、「最上川とおくのほそ道の旅」の計画概要を紹介する。
 この旅は「最上川とおくのほそ道の旅」のネーミング通り、最上川という日本で7番目の長さを誇る川の河口から源流までの河旅と、「おくのほそ道の旅」という江戸時代の俳人の旅した足跡を辿る旅を併せた旅である。
 「おくのほそ道の旅」は漂白の旅人とか永遠の旅人とか呼ばれている俳人松尾芭蕉の、46歳の時の人生最大の旅である。
 芭蕉がこの旅に出たのは、元禄2年(1689)3月27日のことで、現在の東京深川から出発し東北・北陸と巡り、8月20日前後に一応の終着地である岐阜県の大垣に到着。
 旅の長さは約5ケ月、全行程約600里(2400km)の、命を掛けての旅だった。
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 松尾芭蕉の「おくのほそ道の旅」の行程を日本地図上で紹介する。
 見ての通り、この旅は次に旅することになる阿武隈川と、今回旅をする最上川の流域と重なる部分が非常に多い。
 詳しくはないが、芭蕉は旅の中で、この両河川に関する俳句もかなり作品として残しているようである。
 芭蕉の「おくのほそ道の旅」は、最上川の旅でもあり、阿武隈川の旅でもあったのだ。
 「おくのほそ道の旅」の目的は、古歌に詠まれた伝統的な歌枕(和歌の名所)を訪ねて、古人の詩心に触れ、新しい創造力を生み出したいというものだった。
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 それは単にみちのく各地を巡る空間の旅というだけではなく、常に過ぎ去った時代への時間の旅を続けながら、同時に現在を旅する時空一体の旅でもあった。
 出来うれば僕の旅も、芭蕉の旅にあやかって、過去と現在を自由に行き来する「時の旅人の旅」となるよう願っているが。
 それでは、既に結果となっているが、この旅の計画と費用を紹介しよう。
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 同じ2泊3日だが、1970年の原付での山形県一周2泊3日の旅の倍の費用がかかった。
 この旅行費用を高いと見るか安いと見るか、この二つの旅には36年の隔たりがある。

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