「オホーツク街道」の旅 その1 カーフェリでのビッグプレゼント

 「司馬遼太郎とゆく10年の旅」、その最初の旅である「オホーツク街道」の旅は始まった。
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 6月24日の午前10時半に新潟港で新日本海フェリーに乗り、船中泊して翌日の午前4時半に小樽港に到着する。
 6月25日は鯡街道を北上して、その日は天塩川の河口に開けた天塩町に宿泊する。

 カーフェリーの旅は去年と一昨年に続いて今回は5回目となり、船内生活にも慣れてきて、知らない間に時間が過ぎるという、全く自分の家にいるのと同じ感覚で生活することが出来るようになった。
 午前中は新日本海フェリー定番のビンゴ大会(1位;船内食事券3000円1本、2位;小樽有名ホテルのケーキ1000円程度1本、3位;300円程度のソフトドリンクなど船内飲食券10本程度)で楽しみ、一昨年の3位に続き今回も3となりソフトドリンク券をゲットした。

 僕の部屋はいつものステートBの洋室、この部屋は船の4階に位置し、5階が特等船室となっており、ビンゴ大会も5階のビデオシアター会場で行う。

 シアター会場では映画や音楽コンサートなどが催されており、この他に船内には展望デッキカフェ大浴場ゲームルームスポーツコーナーなどが設置されており、食べたり風呂に入ったり船上からの景色を眺めたり映画を見たりしていれば、快適な時間が過ぎるように出来ている。

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フォワードサロンからの日本海は波も無く、青く広がった海原は絶好調に見えた。

 午前中は軽く100人オーバーの参加者で賑わったビンゴ大会で過ごし、昼食はビーフカレー(700円)とサッポロ黒生(250円)で済ませた。

 昼食後は音大の学生二人によるフルートのミニコンサートを楽しんだりや大浴場で船外風景を見たりしたり、部屋で韓ドラのBS放送を楽しんだりして過ごした。

 午後6時ころになって夕食を食べようかとレストランに出かけると、自衛隊関係者などの乗船もあって、乗船客が非常に多い日となっていて、長蛇の列がレストラン前には出来ていた。

この列で、オホーツク街道の旅を結果として盛り上げてくれた方に出会った。

 この方は彼の自己紹介によると昭和18年生まれで四国の四万十川が近くを流れる田舎で育ったという。
 航空自衛隊に勤務され、その後退職となり今も再就職先で働いているという。彼の現住所を聞くと、風連町だと応えた。

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                風連町風景

 風連町は土佐人が入植して出来た町だと教えてくれた。
 北海道は内地から入植した開拓者が開墾して今の形に仕上げた新開地である。

 彼と世間話をしている間に列が進んで、食事の出ている場所にたどり着いた。

 ここの食事は食べたいものを取って最後にお金を払うという仕組みで、この風連の熊(僕が勝手に彼にアダ名を付けた。)さんとの付き合いで、予定以上の出費を夕食にしてしまった。

 彼も言っていたが、ここの食事はそう旨くもないのに高いので、用心していないと簡単に予算オーバーとなる。

 夕飯の献立はマーボウ豆腐にライス、オカズは茄子の油炒めデザートにスイカまで付けた。

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     僕の子どもの頃からの好物マーボウ豆腐(これだけで実は満足)

 たったこれだけで1,190、普通の定食屋なら700円までしないだろう。

 しまったと思ったが風連の熊さんとの付き合いでどうにもならなかった。僕はスイカが見栄の一品だったが、熊さんの方は刺身まで取っていて、2000円位の出費をしていた。

 付き合ってくれた僕のために、彼はこの旅で最初となるプレゼントを僕にしてくれた。


 食事の間の会話は僕の今回の旅に彼が応えるというもので、僕は一人旅同士の気楽さからオホーツク街道の旅の概要を彼に面白おかしく話した。

 彼は僕の道央自動車道を使っての天塩町までの行程を聞くと、その道は北海道のものなら誰も使わない、高速料金の無駄遣いだと断定した。

 それに士別からの天塩川沿いの道は事故が非常に多い。
 景色もそう良くもないので、
日本海沿いの道を行った方がずっと景色も良いし楽しい、そうしなさいと繰り返していった。


 (にしん)街道の北上ルートが彼からのプレゼントだった。

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