「オホーツク街道」の旅 その6 天塩町到着、川口遺跡を見る!!
苫前を過ぎてからはそう見所も無く、羽幌、初山別、遠別を通過し、今日の目的地である天塩町に、午後3時過ぎに到着した。
天塩町は去年の天塩川の旅で散策しているので特に見たいと思うところも無かったが、天塩川と併行して南北に細長く伸びる砂丘上に立地する川口遺跡だけは見てみたかったので、そこへ直行した。
遺跡は天塩市街から1.5㎞の天塩川河口の川口地区にある。
遊歩道の入り口近くに千数百年前の擦文文化期の代表的な家を模して復元された竪穴住居がある。
遺跡は擦文文化期、オホーツク文化期のもので幅200m長さ1.5kmの範囲に壁穴住居跡が広がっていてその数230基。
天塩川とオホーツク海と河口林から豊かな食糧を得ていたのだろう。

天塩川の背後の森の中に遺跡は広がっている。
実際にここで生活していた擦文人やオホーツク人の目線に立って、彼らが海や川から棲家に戻っていく道を歩いてみた。
彼らの背後には天塩川が横たわり利尻富士が見える。

川や海へ向かう彼らの森の出口であり入口の風景である。

我々は彼らの生活道路を辿り、森の中の棲家へ向かう。

我々は左側から森へ入ってきて、右側の川口遺跡を目指して歩いている。

この遺跡は、擦文文化期に属するものと考えられる。
擦文時代(さつもんじだい)とは、7世紀ごろから13世紀(飛鳥時代から鎌倉時代後半)にかけて北海道を中心とする地域で擦文文化が栄えた時期である。本州の土師器の影響を受けた擦文式土器を特徴とする。
後に土器は衰退し、煮炊きにも鉄器を用いるアイヌ文化にとってかわられた。
30分ほど川口遺跡を見て、天塩川河口に向かった。
今日【6月25日(月)】の仕事はすべて終了した。
この記事へのコメント