奈良散歩 その71 中宮寺
うす暗かったがカラフルな色はしっかりと確認でき、今日は救世観音を見ただけで何もいらない、これで充分であると思ったが、まだまだ見たいものはあると思い返して、次に隣の中宮寺に行った。
中宮寺は法隆寺に隣接していて、聖徳太子が母后のために創建した仏教の尼寺である。
寺は現在法隆寺東院に隣接しているが、創建当初は500メートルほど東の現・中宮寺跡史跡公園にあったとされ、現在地に移転したのは中宮寺が門跡寺院(代々皇族、貴族などが住持となる格式の高い寺のこと)となった16世紀末頃のことと推定される。
寺は現在法隆寺東院に隣接しているが、創建当初は500メートルほど東の現・中宮寺跡史跡公園にあったとされ、現在地に移転したのは中宮寺が門跡寺院(代々皇族、貴族などが住持となる格式の高い寺のこと)となった16世紀末頃のことと推定される。
この建物が本堂である。
第一期・第二期「奈良・中宮寺」本尊を守る本堂改修プロジェクトが計画施行されて、今の状態になっているようだが、子細はここでは触れない。
本堂の中に、本尊の如意輪観音(国宝指定)が安置されていた。
中宮寺の本尊像は、右脚を左膝に乗せ(半跏)、右手を頬に当てて考えるポーズを取る(思惟)、典型的な半跏思惟像である。
この像は寺伝では古来から如意輪観音像と称されているが、造像当初の尊名は明らかでなく、弥勒菩薩像として造られた可能性が高いので、ここでは弥勒菩薩半跏思惟像として扱う。
本堂の中に、本尊の如意輪観音(国宝指定)が安置されていた。
中宮寺の本尊像は、右脚を左膝に乗せ(半跏)、右手を頬に当てて考えるポーズを取る(思惟)、典型的な半跏思惟像である。
この像は寺伝では古来から如意輪観音像と称されているが、造像当初の尊名は明らかでなく、弥勒菩薩像として造られた可能性が高いので、ここでは弥勒菩薩半跏思惟像として扱う。
この写真が本尊の弥勒菩薩半跏思惟像で、今回の旅で唯一の個人用土産として購入した写真をデジカメで撮影したものである。(本物の迫力は写真の比ではない。)
弥勒菩薩半跏思惟像は仏像の一形式で、台座に腰掛けて左足を下げ、右足先を左大腿部にのせて足を組み(半跏)、折り曲げた右膝頭の上に右肘をつき、右手の指先を軽く右頰にふれて思索する(思惟)姿の弥勒菩薩像で、日本には大陸より6世紀から7世紀の弥勒信仰の流入と共に伝えられ、飛鳥時代から奈良時代にかけての作品が多く残されている。
弥勒菩薩半跏思惟像は仏像の一形式で、台座に腰掛けて左足を下げ、右足先を左大腿部にのせて足を組み(半跏)、折り曲げた右膝頭の上に右肘をつき、右手の指先を軽く右頰にふれて思索する(思惟)姿の弥勒菩薩像で、日本には大陸より6世紀から7世紀の弥勒信仰の流入と共に伝えられ、飛鳥時代から奈良時代にかけての作品が多く残されている。
半跏思惟のこの像は、飛鳥時代の最高傑作のひとつであると同時に、わが国美術史上で欠かすことの出来ない存在でもある。
国際美術史学者間ではこの半跏思惟像の顔の優しさを、数少ない「古典的微笑(アルカイックスマイル)」の典型として高く評価していて、中宮寺弥勒菩薩半跏思惟像はエジプトのスフィンクス、レオナルド・ダ・ヴィンチ作のモナリザと並んで「世界の三つの微笑像」とも呼ばれている。
半跏思惟の姿勢で、人の悩みをいかにせんかと思惟される清らかな気品漂う姿は、見る人すべてを魅了せずにいられない。
国際美術史学者間ではこの半跏思惟像の顔の優しさを、数少ない「古典的微笑(アルカイックスマイル)」の典型として高く評価していて、中宮寺弥勒菩薩半跏思惟像はエジプトのスフィンクス、レオナルド・ダ・ヴィンチ作のモナリザと並んで「世界の三つの微笑像」とも呼ばれている。
半跏思惟の姿勢で、人の悩みをいかにせんかと思惟される清らかな気品漂う姿は、見る人すべてを魅了せずにいられない。
本物の美を見た後で、本堂の前に建っている会津八一の歌碑を見た。
みほとけの あごとひぢとに
あまでらの あさの
ひかりの ともしきろかも
中宮寺にて 秋艸道人と、歌碑には書かれていた。
歌の意味は下記のとおりとなる。
尼寺のみほとけの、頬にあてた指先と曲げた右肘に、朝の光が優しく反射する。
そのお姿はなんと神秘的で魅惑的なことか。
中宮寺をこれで終える。
あまでらの あさの
ひかりの ともしきろかも
中宮寺にて 秋艸道人と、歌碑には書かれていた。
歌の意味は下記のとおりとなる。
尼寺のみほとけの、頬にあてた指先と曲げた右肘に、朝の光が優しく反射する。
そのお姿はなんと神秘的で魅惑的なことか。
中宮寺をこれで終える。
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