「播磨と淡路のみち」 その15 室津の街を歩いていく


廻船問屋嶋屋は瀬戸内海を中心として廻船の商売をしていた。
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この土間は江戸時代後期の建物だが、その土間に置いてあるのが十分の一模型の弁財船で、この船を2隻所有して大きな利益を上げた。
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その利益で、明治6年に増築したのがこの畳の部屋だとの説明で、部屋には江戸時代に室津が栄えた証拠となる歴史的な資料が展示されていた。
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とにかく、この室津には外国へ行く日本人や外国から来る日本人が必ず立ち寄ったということで、西国大名の8割は室津港に立ち寄ったのである。
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室津海駅館を出て、これから室津の街を歩いていくが、この通りは司馬さんも須田画伯も通った道で、司馬さんの心境でこの通りを歩いていくことにする。
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江戸時代には室津千軒と言われてこの地方の代表的な商業地だったという室津だが、司馬さんの記された「時の流れに押しつぶされながら、その風化にじっと耐えている街」というほどの、いちじるしいさびれ方を持ってしまった街という印象はない。
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建物の老化や風化が進んだ状態の街を司馬さんはそう表現したのだが、其処までいった建物は人も住んでいるので、新築や改装で対応しているようだったのでそこまでさびれた印象は与えない。
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晴天の天候のせいもあるのだが、むしろどこにでもある地方の小さな港町としての明るいイメージを感じた。
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歩いているうちに、龍野市立室津民俗館に到着した。

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