奈良散歩 その65 法隆寺金堂 Ⅱ

 次に「東の間本尊」の薬師如来像である。
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 法隆寺金堂内陣の「東の間」に安置されている薬師如来像(国宝)は、像高63.0cmの金銅製の坐像である。
 この薬師如来像にも、光背裏面に銘文が刻されている。
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 本銘文は縦29.7cm余、横13.2cm余の範囲に、90字が5行で陰刻されていて、1行目から順に、16字・19字・18字・19字・18字ある。
 文面は、「用明天皇が病気の時の用明天皇元年(586年)、平癒を念じて寺(法隆寺)と薬師像を作ることを誓われたが、果たされずに崩じた。
 のち推古天皇と聖徳太子が遺詔を奉じ、推古天皇15年(607年)に建立した。」という趣旨の内容である。
 ただし薬師如来像の実際の制作年代は、研究者の研究から法隆寺金堂「中の間」本尊の釈迦三尊像(推古天皇31年 = 623年)より遅れるものとみなされている。
 最後に、「西の間本尊」の阿弥陀三尊像である。
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 阿弥陀如来像を中央に、左右に勢至菩薩像、観音菩薩像が置かれている。
 光背裏に刻まれた銘文によると、承徳年間(1097~99)に盗難にあった像を鎌倉時代の貞永元年(1232)に再興したもので、原型作者は運慶の四男康勝であった。
 康勝の作品は他に京都・六波羅蜜寺の空也上人像、教王護国寺の弘法大師像(国宝)が知られている。
 金堂の諸仏には圧倒されたが、特に釈迦三尊像に思わず見とれてしまった。
 金堂の次に、大宝蔵院に行った。
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 法隆寺の大宝蔵院は平成10年に落成した数ある寺宝を収蔵する宝物館で、百済観音堂および東宝殿、西宝殿からなっている。
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 ここには、人気の飛鳥時代建造の百済観音像(国宝)、白鳳時代の夢違い観音像(国宝)、特に有名な玉虫厨子(国宝)、719年に唐からもらった九面観音像(国宝)、光明皇后の母、橘三千代夫人の念持仏であったと伝えられる白鳳時代の橘夫人厨子(国宝)、奈良時代の百万塔などを収蔵している。
 ここも当然撮影禁止となっているので、ネット画像にて国宝像などを紹介する。

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