東京散歩 その1 不忍池
去年の済州島の旅は天候にも恵まれ楽しい旅となったが、その後歩いた東京散歩の旅もなかなか楽しい旅だった。
田舎都市の新潟に住んでいるので、徳川の江戸時代に形成されてから既に400年の歴史を持ち、世界に誇れる日本の首都となった東京の街を歩くのは、大いなる楽しみとなった。
これから記するのは、2014年の4月17日に歩いた上野・本郷界隈で、ほとんどが本郷界隈となる。 京成上野駅から入って行くと、まず不忍池に出会う。
この不忍池の風景を楽しみながら、本郷方面に向かった。
不忍池はかつて古石神井川が武蔵野台地の東端を割って海ぞいの低地へと注ぎ出ていた開口部に位置し、川の東岸にあたる上野台地(いわゆる上野のお山)や西岸にあたる本郷台地(東京大学の立地する台地。)にくらべると、10m以上も標高が低い。
縄文時代の頃にはこの辺り一帯は東京湾の入り江であり、その後海岸線の後退とともに取り残され、紀元数世紀頃に池になったと考えられている。
不忍池はかつて古石神井川が武蔵野台地の東端を割って海ぞいの低地へと注ぎ出ていた開口部に位置し、川の東岸にあたる上野台地(いわゆる上野のお山)や西岸にあたる本郷台地(東京大学の立地する台地。)にくらべると、10m以上も標高が低い。
縄文時代の頃にはこの辺り一帯は東京湾の入り江であり、その後海岸線の後退とともに取り残され、紀元数世紀頃に池になったと考えられている。
1625年、江戸幕府は西の比叡山延暦寺に対応させ、この地に寛永寺を建立し、開祖慈眼大師天海は、不忍池を琵琶湖に見立て、竹生島になぞらえ弁天島を築かせ、そこに弁天堂を作った。
その弁天堂を見たあと、ボート池(池は一面が蓮で覆われる蓮池、ボートを漕いで楽しむことのできるボート池、上野動物園の中に位置しカワウが繁殖している鵜の池の三つに分かれている。)越しに、今は東京と名前を変えた大都市にそびえるビル群を眺めている。
その弁天堂を見たあと、ボート池(池は一面が蓮で覆われる蓮池、ボートを漕いで楽しむことのできるボート池、上野動物園の中に位置しカワウが繁殖している鵜の池の三つに分かれている。)越しに、今は東京と名前を変えた大都市にそびえるビル群を眺めている。
不忍池を出て、これから旧岩崎邸・湯島天満宮・麟祥院と、赤矢印順に歩いてゆく。
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