「播磨と淡路のみち」 その24 本丸跡から三木露風生家まで歩く

隅櫓を後ろにして坂道を上がっていく。
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本丸までの道は、右手に石垣左手に白塀の、このような石段の坂道である。

坂道を歩き終えると、正面に本丸西隅に再建されている西門が建っていた。
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大きな門は開かなかったが、その右脇にある小さな門が開いていて、ここから本丸に入った。

本丸跡は公園のようになっていて、ちょうど散歩していた女の方が居られたので本丸の案内をお願いしたが、龍野の人間ではないのでよく知らないと丁寧に断られた。
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本丸内は案内もなく勝手に歩いて、再建されたこのりっぱな本丸御殿を見て、本丸跡をあとにした。
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本丸跡の坂を下っていくと、りっぱな門があったが、再建された埋門である。
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門には龍野城と書かれた木板が打ち付けられていて、門の手前には脇坂家第十五代が書いた「龍野城重建之碑」が建っていた。

埋門を後ろにして坂道を下っていく。

坂道はかなり広く両側は白塀で、坂道には落ち葉が人為的に置かれたかのように、綺麗に敷き散らかされている。
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その坂道が終わると、左手正面に三木露風生家が見えてきた。

露風の生家はほぼ城の真下にある。
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露風はこの家で明治22623日に出生し、露風が6歳の時に両親が離縁して母親は弟を連れて実家の鳥取に帰ってしまい、露風も祖父の家に引き取られた。

露風の生母かたは因幡鳥取藩の家老の娘で、祖父はこの脇坂藩の奉行職を務めた人だった。

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