「オホーツク街道」の旅 その11 間宮林蔵の樺太や沿海州の旅のこと その2 ポリアンドリーポリ

2.ポリアンドリーポリアンドリー (一妻多夫制)に関する林蔵,シュレンク,シュテルンベルグの見解

 女性の社会的地位について,林蔵はするどい観察を行なっており,シュテルンベルグは,林蔵の方がシュレンクよりも見るべきものを見ていると指摘している。

 『東縫紀行』)の中に「… 殊に女を貴て,男夷は徒に奴僕の如くなれば… 」という一文がある。
イメージ 1



 シーボルトの語訳では,(この地では女性が男性に命ずることが行なわれている)となっているが,これについてシーボルトは (これによれば,カラフトの北西岸はポリアンドリーが法制的または慣習的に行なわれている地球上唯一の地である可能性がある)との註を付している。

 世紀末から20世紀はじめにかけて活躍したロシアの民族学者シュテルンベルグは,生活の最も私的な側面に立ち入り,その言語を知り,彼らのユルタで長く生活することにより実証した。

イメージ 2


 「其の人物は理髪、耳飾ともにヲロッコ夷に異なることなしといへども、容貌何となく少しく上品なり。・・・其の衣服も亦獣魚を用いる者少なからず・・・」「女夷も・・・其の容貌嫩艶(どんえん)なる者多く」東韃地方紀行で紹介されたニブフの女  ↑林蔵は女夷としながらもその魅力は認めている。

ポリアンドリーの実例についてシュテルンベルグは書いている。

 兄弟が妻を共有して同居し,両者の間に完全な諒解のある例をいくつも観察した。
 私のギリヤク語の最初の教師であるタンギヴォ村出身のギベリカは,全サハリンを通じて最も富裕で尊敬されている人物であったが,いつもその弟のプレウンと同じユルタに住んでいた。そしてプレウンと兄の妻との関係は誰にとっても秘密ではなかった。
イメージ 3



 子どもたちもふたりの父親に同じ態度で接し,またふたりから同じようにかわいがられた。プレウンの死後は,彼の財産は,世間からギベリカの子どもと考えられた子どもたちに移った。プレウンはたいへん富裕で数人の妻でも買うことができたが,兄の妻を愛した。兄は,高い値段で買った自分の妻を共有することに少しも反対しなかった」。そしてシュテルンベルグが,兄弟で妻を共有することについてギリヤクの若者たちにきくと,彼らは驚いたようにきき返したという。「ロシア人はそうでないのか。兄の妻と同居するのがなぜわるいか」。ロシア人はそうでないと答えると「それはたいへん困ったおきてだ」と言って,信じられないような面持で互いに顔を見合せた。

 クレイノヴィチはシュテルンベルグの約20年後であるが,兄弟で妻を共有しているいくつかの例を記述している。
 例えばブリヴォ部落のプィルギン(兄)とタルキン(弟)の場合である。タルキンとプィルギンの妻ラウリクの関係は公然としたもので,誰も彼らを非難するものはなかった。
3人は同じ食卓で食事をし,同じ寝床に眠った。兄弟はラウリクを間にはさんで両側に眠った。子どもが生まれると,ふたりがともに「わが子」とよんだ。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック