「播磨と淡路のみち」 その18 浄雲寺を歩く

浄雲寺は室津にある浄土宗知恩院の末寺で、法然上人霊跡の一つでもある。

遊女の元祖とされる友君や、「お夏清十郎」ゆかりの寺としても知られている。
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寺のすぐ前まで歩いてきて、今まで歩いてきた道を振り返った。

どこにでもある細い道であるが、浄雲寺門前の道ということで、どこか清浄な空気に包まれている道である。

再び振り返って歩いていくと、目の前は寺の北側に位置する山門である。
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山門の下に、法然上人御霊場第三番と書かれた石柱が、参道の左側に建てられている。

寺は1185年に法然の弟子・信寂が開基し、 1207年に京都より讃岐国へ配流された法然が室津に立ち寄り、遊女・友君へ説法したと伝えられていて、以来浄雲寺は法然の遊女教化を伝える霊跡となっている。

司馬さんや須田さんが安田章生氏と歩いた道を、こんなとこなのかと少なからず感動を受けながら歩いていく。
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山門の下の階段を上がり終えて振り返ると、山門の上には鐘楼があり、その左側には観音堂が建っていた。

司馬さんの「街道をゆく 播州揖保川・室津みち」の中で、「お堂の観音扉がひらいて、暗い堂内から綿入れの着物を着た老人が出てきた。閼伽を取り換えていたらしいことは、古い花や水桶をたずさえていることでもわかる・・・・・・」と書かれていた場面が不意に思い出され、観音扉が今にも開くのではないかと思った。
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寺の境内では北限のソテツの木も育っていて、いかにもここがあたたかな良い土地で、法然上人の霊場に相応しいロケーションと感じた。
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ここが寺の本堂で、ここには運慶の作と伝えられている寺の本尊である阿弥陀如来立像が安置されている。
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ここは寺の西門で、ここからは室津港が良く見える。

西門を出て左に少し歩いていくと、そこに遊女友君の墓が建っていた。
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かつて西海路の港として賑わっていた室津には他の港町と同様に、旅人のための遊郭があった。

友君は本名を「ふき」と言い、木曽義仲の第3夫人で京都では山吹御前と呼ばれていた。

その後義仲の討死により播磨国へ逃れた彼女は、途中の室津で身ごもっていた子供を死産し、供養のため当地に留まり遊女となったという。
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1207に法然が潮待ちで当地に立ち寄った際に、法然の説法に感激した友君は、法然より得度を受けて当寺へ出家した。

彼女は、その後一筋に念仏を唱え往生したとのことである。

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