「播磨と淡路のみち」 その26 伊和神社

朝食を食べるために旅館の1階の食堂に行った。
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 竹の宿と名乗っているだけあって、食堂にも竹が贅沢に使われていた。
 朝食も食堂と同じで、一品一品手が加えられていて贅沢である。
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朝食前の散策の余韻が残っていたので、この朝食がなおのこと美味しく感じた。

そして今日の日程である。
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今日もレンタカーで、司馬さんの「街道をゆく 揖保川・室津みち」をたどっての旅となる。

まず揖保川沿いの街道を走り、播磨国一宮の伊和神社まで行き、そこから揖保川沿いに下って黒田官兵衛ゆかりの山崎まで戻る。

山崎を見たあと龍野に戻って食事し、朝飯前に見なかった龍野の町を見てから姫路に戻る日程である。

まず伊和神社に向かって8時前に宿を出発した。

龍野から30km程、50分程度の時間がかかる道であるが、道に沿う揖保川はアユの友釣りが初めて行われた川で、渓相の良さそうな場所が随所にあった。
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伊和神社には840分頃到着した。
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伊和神社の参道を社殿に向かって歩いているが、杉の巨木があちこちに立ち並び、境内の様相は神さびている。

参道をしばらく歩いて社殿のある境内に到着した。
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この播磨の国一宮の伊和神社だが、屋根瓦に使用されているのが出雲地方の石見瓦であることからもわかるが、古代は出雲の勢力下に置かれていたらしい。

ここが伊和神社の本殿である。
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この伊和地方には、伊和族と呼ばれた農耕民族が住みつき米作りをしていて、出雲の勢力下に置かれていた。

司馬さんは、「古代の稲作は広々とした平野部には開けてなく、山間部の細流が平野に出たあたりで行われており、伊和地方がそういう場所だった。」と揖保川・室津みちに記している。
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伊和族はその後、伊和から10km程揖保川を下った山崎に降り、更に播州平野の只中にある龍野に移ったと、司馬さんは続ける。
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伊和族といういわば播州の先祖のような血が、この地から生まれて揖保川に沿って下っていった歴史の流れが、ここに立っているとごく身近に感じられる。
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境内の上を見ると、杉の巨木が天に突き刺さるようにそびえていた。

しばらく見とれて、それから山崎に下った。

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