「播磨と淡路のみち」 その33 神戸華僑歴史博物館

神戸ポートタワーを降りて、次に神戸華僑歴史博物館に行った。

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 このKCCビルの2階に、神戸華僑歴史博物館はある。

 このビルの前には、非核「神戸方式」の碑や神戸港平和の碑などがあった。


 司馬さんの「街道をゆく 神戸散歩」の中に、「陳徳仁氏の管長室」という1章がある。

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 司馬さんが大坂外語学校に通っていた頃、神戸から通学してくる学生の中で、陳性のひとが二人いて、どちらも温厚で秀才の評判が高く、ひとりは中国語を専攻していた陳徳仁氏で、他の一人はインド語を専攻していた陳舜臣氏だった。

 この陳徳仁氏が設立した博物館が、神戸華僑歴史博物館である。

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 神戸には多くの中国人や韓国・朝鮮人が渡航してきた。

 司馬さんは「街道をゆく 神戸散歩」の中で、陳徳仁氏の神戸華僑歴史博物館と韓皙曦(ハン・ソッキ)の青丘(せいきゅう)文庫を訪れた。

 僕は時間の都合で青丘文庫まで行けず、この神戸華僑歴史博物館を見るに留めた。

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  神戸華僑歴史博物館では、どうしても司馬さんがこの館に陳徳仁氏を訪れた時の展示に興味が集中した。
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展示資料の中には、アグネス・チャンやジュディ・オングのものもあり、彼らが中国人であることを改めて確認した。


華僑の生き方を表す言葉に「落地生根」がある。


一人の人間が遥か故郷を遠く離れ、海を越え異国の地に渡り、その土地の人たちと睦みあい、その地の習慣にも馴染み、家業を起こし、子や孫に囲まれて円満な家庭を築き、やがてはその地の土に帰するさまだという。

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 異人街や南京町の写真も展示されていたが、華僑は神戸に「落地生根」して生きてきたのだなあと、改めて彼らのたくましい生き方に感動した。
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  兵庫県在住の中国人の出身地はまちまちである。

 ちなみに、2011年現在の外国人全体の中での中国人の居住割合をみると、兵庫県全体では25253(25.6%)、日本全国では674879(32.2%)である。


 参考までに朝鮮半島の方々は、兵庫県全体では50438(51.2%)、日本全国では6545401(26.2%)である。



 最後に、在日朝鮮人の朝鮮史・キリスト教史研究者であった故韓皙曦氏が自身の研究のために集めた朝鮮史、キリスト教関係の文献などの私財によって設立した「青丘文庫」を簡略に紹介する。


青丘文庫は1969年当時、朝鮮関係の文献が公立図書館や大学図書館などでも


ない状態であったことから、韓さん自ら収集を始めたのがきっかけで始まった。


名称の「青丘」は朝鮮半島を示す古くからの雅号である。


1972年に書籍が韓さんの自宅から神戸市内のビルに移転し、私立図書館「青丘文庫」が設立され、その後文献は阪神・淡路大震災の翌1996年に韓さんが神戸市へ寄贈し、市立図書館内の1つのコーナーとして扱われるようになった。


朝鮮の近現代史を中心に、南北朝鮮で発行された文献や在日朝鮮人に関する文献など約3万点が所蔵されているという。


神戸に思い残すこともなくなったので、今夜宿泊するホテルのある明石に戻った。

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