越前と若狭の旅 その50 「若狭三方縄文博物館DOKIDOKI館」へ立ち寄る
三方五湖は、福井県三方郡美浜町と同県三方上中郡若狭町に跨って位置する5つの湖の総称で国指定の名勝となっていて若狭湾国定公園に属している。
三方五湖を一覧表にすると、このような表となる。
この五湖のうち、「水月湖年縞」で有名な水月湖は前から知っていた湖である。
この水月湖年縞の展示資料がある「若狭三方縄文博物館DOKIDOKI館」へ立ち寄った。
面白い形の建物で初代館長は梅原猛、館のメッセージは以下のとおりである。
「縄文文化は日本文化の基礎であり、人類の還るべき文化が縄文にあるのではないかと考えています。森が破壊され、自然環境が破壊され、人類の未来が危惧される今日、縄文のもつ共生と循環の世界観が改めて認識される必要があるのではないでしょうか。若狭三方縄文博物館は、地球を破壊しつつある現代文明へのメッセージとして縄文の光を世界へ届けたいと思っています。」
非常に興味を持って館内に入ったが、「水月湖年縞」のみ紹介する。
「水月湖年縞」を知ったのは環境考古学者の安田喜憲の著書の中でだと思うが、詳細は忘れてしまった。
5つの中で最も大きな湖「水月湖」の底には、何層にも重なったシマ(縞)模様の堆積物が厚さ73m以上もたまっている。(奇跡の湖と呼ばれている。)
そのシマ模様は白い層と黒い層が交互に重なってできており、一対で1年分を示していて、この様子を「年縞」(木にたとえると年輪)といい、水月湖の年縞は実に7万年もの長い期間にわたり、大きくかき乱されることもなく安定して積み重なり、今日まで保存されてきた。
なぜ縞模様になるかというと、水月湖の湖底には春から秋にかけては土やプランクトンの死がいなどの有機物、晩秋から冬にかけては湖底から析出した鉄分や大陸の黄砂などの鉱物質が堆積する。
有機物を多く含む層は暗い色に、鉱物質を多く含む層は明るい色となり、色の暗い層と明るい層の一対が1年をかけ縞模様となっていく。
水月湖の年縞堆積物は、1年で平均0.7mmの薄さで7万年に渡って堆積してできた。
水月湖の年縞調査が始まったのは1991年のことで、安田喜憲をリーダーとして1993年には約75mの堆積物を採取することに成功した。
僕は探検家関野吉晴の「グレートジャーニー」の大ファンであり、彼が旅の途中でレバノンに立ち寄った際に、レバノン杉の盛衰の歴史を調査している安田喜憲と出会って、地球環境の問題で意見が噛み合ったことを覚えている。
地球環境問題については、関野吉晴も安田喜憲も同じような考え方で対応しているのが嬉しかったことを記憶している。
この安田喜憲の著書「長江文明の謎」の中で読んだ、こんな話を思い浮かべた。
長江文明は今から6千3百年前に誕生したという。
地球の寒冷化によるこの地域の乾燥化の中で、長江流域の人々は城塞を築き、ため池を作った。
稲作を守るために水のコントロールを始めたのである。
都市型集落の成立であり、文明の誕生と推測される。
長江文明を作り稲作文明を築いた苗族やその末裔の人々は、長江下流地に越の国(呉越同舟の故事で有名な越のことです。)をつくった。
越の国の一部の人々は、稲作文化を携え日本に渡り、越という地域に住んだという。(赤色地域)
つまりは古事記に高志(越)の国と記述されている地域であり、この地域は今、越前・越中・越後という地名として残っている。
ここは若狭の国であるが、僕の旅の意識としては、今回の旅は越前街道の旅であり、むろん越(高志)の国を潜在的に意識しての旅の継続となっている。
ここの女性館長に確かめたが、今でも安田喜憲はたまにここに来館することがあるという。
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