「播磨と淡路のみち」 その28 「赤とんぼ」の町
午前11時前には龍野に戻った。

龍野でまだ見てない場所や、朝食前に散策したいかにも龍野らしい立派な風景をもう一度心に焼き付けた。

龍野は鶏籠山をバックに、コンパクトに古い美しい町並みが残っていて、その中でも龍野の中心となる醤油蔵や古寺は、再度見直しても見事だった。

昼食は鶏籠山の良く見える場所にあるレストランで、1500円の地元野菜のバイキング料理を食べた。

地元野菜で作った料理はどれもおいしかったが、一番おいしかったのは地元産の卵と地元の醤油で味わった「卵かけご飯」だった。
午後から、赤とんぼの碑と霞城館を見学した。
まず、赤とんぼの碑であるが、龍野で最も有名なのは、この地が童謡「赤とんぼ」の作者である三木露風の出身地ということで、龍野は「童謡の里」として町おこしを行っている。

赤とんぼの碑は、三木露風の童謡「赤とんぼ」に因んで建てられたものである。
この碑の右隣に、三木露風の銅像が建っていた。

露風は晩年龍野名誉市民として顕彰を受け、東京の三鷹市で悠々自適の生活をおくり、昭和39年12月29日に76歳の生涯を閉じた。
龍野散策の最後に霞城館を見学した。

霞城館には、龍野が生んだ現代の文化人、三木 操(露風)、内海信之(泡末)(青潮)、矢野勘治(興安嶺)、三木 清の4氏に関する文献や資料が一堂にそろえられている。
このうち、三木露風に関する展示をざっと眺めた。

童謡「赤とんぼ」は、いちばん初めは「赤蜻蛉」と題して、児童教育雑誌「樫の実」の大正10年8月号に掲載された。

次いで大正10年12月、童謡集「真珠島」に収録する時に、露風は第一節と第二節の字句を推敲して、現在の「赤とんぼ」に改めた。
露風直筆の「赤とんぼ」の詩の見学を最後に、早めに龍野の町をあとにし、レンタカーで姫路に向かった。
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