最上川と「おくのほそ道」の旅 その13 茂吉とふさこのことだけ考えて斎藤茂吉記念館を見学

ふさこを気にしながら、斎藤茂吉記念館の庭に入った。


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記念館の庭には、医師であり歌人でもあった斎藤茂吉の胸像が堂々と建っていた。

展示室へは階段で地下一階に降りて行く。


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展示スペース「赤き華あかき光を」では、金瓶に生まれ育った茂吉が歌集「赤光」を出した大正2年までを扱う。

展示スペース「一本の道とほりたり」では、赤光発行後から第2次世界大戦の最中まで(輝子との結婚、消失した病院の再建、柿本人麻呂の研究など)、展示スペース「逆白波のたつまでに」では、昭和20年の金瓶への疎開から終焉までを扱う。

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 ふさこが気になったので、大半の時間を展示スペース「一本の道とほりたり」の中で過ごした。


その年の暮にふさこは松山へ帰ったが、日を置かずして茂吉から手紙が届く。

昭和111月にふさこは上京、二人で浅草観音に詣で、その夕方にふさこは茂吉に唇を奪われた。

さらに6月のも上京、いつか二人は深い仲になって行き、以前にも増して頻繁に二人の間には手紙が行き交った。

こんな内容の手紙である。



「ふさこさん!ふさこさんはなぜこんなにいい女体なのですか。何ともいへない、いい女体なのですか。どうか大切にして、無理をしてはいけないと思います。玉を大切にするようにしたいのです。ふさこさん、なぜそんなにいいのですか」(昭和111126)



ふさこさん、・・・ああ恋しくてもう駄目です。しかし老境は静寂を要求します。人褥は他力也です。忍耐と恋とめちゃくちゃです・・・あゝ恋しいひと、にくらしい人」(昭和111129)


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「・・・写真を出して、目に吸い込むやうにして見てゐます。何といふ暖かい血が流るることですか、圧しつぶしてしまひたいほどです、圧しつぶして無くしてしまひたい。この中に乳ぶさ、それからその下の方にもその下の方にも、すきとほつて見えます、あゝそれなのにそれなのにネエです。食ひつきたい!・・・・尊い、ありがたく、甘い味あひのしたあのへん!」(昭和12319)


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こんな常軌を逸した手紙をふさこに茂吉が送り、その書簡数は150通にのぼった。

許される仲ではない、恋を諦めるには身を引くしかない。

昭和124月、ふさこは見合いをし、結納までする。

相手は牧野という岡山の医師だったが、しかし何あってか、ほどなくふさこは婚約を解消している。

ふさこはみずからを罰することで、茂吉との恋にピリオドを打った。


その後、ふさこと茂吉は幾たびか逢うことがあったが、「男と女の関係」はなかったらしい。

茂吉は妻のスキャンダル事件以来、柿本人麻呂の研究に没頭していたが、それ以上にふさことの愛は、大歌人の情熱を注ぐ対象となった。

ここに、茂吉とふさこが合作した歌がある。



光放つ 神に守られ もろともに あはれひとつの 息を息づく

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これは昭和1111月の二人の合作で、上句が茂吉、下句がふさこである。
この一首を評して、「人麻呂以上だ」と茂吉は言った。
茂吉との大傑作の歌を残して、ふさこは平成5年、83歳で亡くなっている。
結局は茂吉も妻輝子と同じく、尋常な男ではなかった。
アララギ派という硬派な会に属していたにも関わらず、誰にも知られずに妻以上の、まるで昼メロのような強かな恋愛を、完璧に行っていた。
斎藤茂吉記念館では、茂吉とふさこのことだけ考えて見学を終えた。

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