東京散歩 その8 東大散歩は赤門から
東京散歩はこれから東大散歩となる。
菊坂から赤門に向かった。
赤門は参勤交代制度の確立によって造成された加賀前田家江戸上屋敷の正門である。
参勤交代制度は鎌倉時代にみられた御家人の鎌倉への出仕が起源とされ、将軍に対する大名の服属儀礼として始まった。
1635年に徳川家光によって徳川将軍家に対する軍役奉仕を目的に制度化されたが、この制度により260年余りにも及ぶ江戸時代は築かれた。
制度上諸大名は一年おきに江戸と自領を行き来しなければならず、江戸を離れる場合でも正室と世継ぎは人質として江戸に残された。

午前11時18分に国指定重要文化財赤門へ到着である。
この赤門は加賀藩13代藩主前田斉泰が、1827年に11代将軍徳川家斉の娘溶姫を正室に迎えた際に建立された御守殿門(当時、三位以上の大名が将軍家から妻を迎えた場合、その人・居所を御守殿と称し、表通りからその場所へ出入りする朱塗りの門を御守殿門と呼んだ。)であり、この赤門が前田家上屋敷の正門そのものであった。
現在の東大はこの赤門を含めて、江戸時代の前田家の大名屋敷だった。
その元前田家大名屋敷にこれから入っていく。

赤門を潜り、ほぼ赤線で引かれたコースをたどって東大構内を散策していく。
僕は東大出ではないが、ここを歩くと気分はやはりハイになり、今日だけは夏目漱石の三四郎を気取って、ここを歩くことにした。
東大校内にはそう言えば三四郎池もあった。

小説三四郎のあらすじはこんなである。
福岡県京都郡真崎村(架空の村、豊津町近郊の農村)で生まれ育ち、熊本の高等学校(第五高等学校)を卒業して上京。
道中、三四郎は京都で同乗した女性と名古屋で一泊する時、間違って同室になるのだが、床が敷かれるなり三四郎は自分なりに気を使ったつもりだが、お陰で別れ際に「あなたはよっぽど度胸のないかたですね」といわれる。
東京帝国大学に入学するため上京したが、東京は自分の常識とは全く違った世界であった。さまざまな人と出会い、三四郎は自分が三つの世界に囲まれていることを自覚する。

一つ目は、母のいる故郷九州の田舎。
二つ目は、野々宮や広田先生のいる学問の世界。
三つ目は、華美溢れる世界であった。
三四郎は、都会的な美禰子のいる三つ目の世界に心をひかれ、美禰子に恋慕する。
美禰子は曖昧な態度を続け、「迷える子」または「迷羊」(いずれも振り仮名は「ストレイシープ」)という言葉を三四郎に幾度となく投げかけるが、結局、兄の友人と結婚してしまう。
1回読んだことがあったが、そう面白いとは感じなかった。
今の小説のようにハラハラドキドキするようなところもあまり無く、淡々とした調子で話は進んでいく。

三四郎の世界を楽しんでいる間に、どうやら最初の見学場所である東京大学東洋文化研究所に到着である。
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