近江街道をゆく その1 旅の始まり

 「近江街道の旅」は、去年の「越前と若狭の旅」の続きである。
「越前と若狭の旅」は「越国(こしのくに)」と呼ばれ、ヤマト王権の勢力が十分に及ばない日本海側の地域でありながら、朝鮮半島や大陸からの交通路になっていて先進文化が栄えていた地域の南端部の旅であった。

「近江街道の旅」はヤマト王権の直接の主要な血となった継体天皇の祖先やその妃となった人々の地を訪ねるのが主要な目的の一つであるが、この旅ではほぼ琵琶湖の周囲を一周し、日本人の血液のなかの有力な部分が朝鮮半島を南下して大量に滴り落ちてきた痕跡の一部にたどり着くのが最も重要な目的である。

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 かって司馬遼太郎は韓国人の親しい友人である金達寿(キムタルス)氏と対談中に、「日本人の血液の六割以上は朝鮮半島から伝わってきたのではないか」と話すと、金達寿(キムタルス)氏は笑って「九割、いやそれ以上かもしれない」と応えていた。

 国は分かれてはいるが、それ程朝鮮民族と日本民族の地は近いもので、種々雑多な人種や民族が複雑に交錯して出来ている地球人類の中では、兄弟といっても過言では無い程に近しい血液をこの二つの民族は持っている。

 前置きはこのくらいにして、それでは早速2016年秋の旅に出る。


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 前記日程のように、今回は北陸線経由の電車で京都まで行き、そこからレンタカーを使いながら琵琶湖周辺の歴史的史跡や旧跡を巡る旅となる。

 出発日は古代ケルト人の祭りであった1031日のハロウィンの日である。

ケルト人の1年の終りは1031日で、この夜は夏の終わりを意味し11月から冬が始まるのであるが、現在の関西地方ではこの季節はまだまだ中頃の秋のようである。

それでは中頃の秋の只中へ出発する。

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