最上川と「おくのほそ道」の旅 その14 上杉の米沢はまず芋煮汁から
上山の次は上杉の米沢である。
今回の『平成19年最上川と「おくのほそ道」の旅』は2泊3日の旅、米沢は本来ならば最低でも1泊して、直江兼続の作ったこの町を、歴史をたどりながらじっくり歩きたいところである。
しかし、今日の宿は最上川源流の地である西吾妻連峰のふところにある白布温泉の白布屋、日が沈まないうちに源流の地にたどり着く予定にしているので、全くの急ぎ旅となっている。
あくまでもこの旅は、最上川の河口から源流までを踏破するのが一番大きな目的となる。
午後2時前に上山市にある「斎藤茂吉記念館」を出て、1時間程かけ、午後3時頃に松岬公園(旧米沢城本丸)に到着、公園内を1時間程散策した。
この写真は、公園内にある上杉鷹山公の像で、午後3時半頃撮影したもの。
この旅での米沢での写真は、この1枚しか現存していない。
その後、白布温泉に向け出発した。
米沢をこのまま通り過ぎるにはあまりにも惜しいので、この旅の2年後の平成21年7月20日の米沢の旅で、直江兼続が作ったまち米沢を歩いてみたい。
ここからは、2年後にタイムスリップである。
平成19年の最上川の旅は上山から黄矢印のように南下し米沢の町に入った。
2年後の平成21年7月の米沢の旅は赤矢印のように国道113号線を通り米沢に入った。
米沢に入る前に、新潟県境の山形県の小国町の道の駅「白い森おぐに」で芋煮定食を美味しく頂いた。
実はこの芋煮汁が、もう米沢なのである。
ここでの芋はサトイモのことで、サトイモの季節になると、米沢ではどの家でもこの芋煮汁を作るのだとか。
その上、芋煮会という催しまであり、町内、職場、学校、親戚といったグループが河原に出て、大鍋に芋煮汁をつくって秋を楽しむのである。
この辺りの土地にあっては冬の長さにどう耐えるかということが重要な文化であり、保存できる食料は全て保存して冬にそなえる。
保存のきかないサトイモのようなものだけを、冬の前にみんなでワイワイ楽しみながら食べる、こんないい風景を1回見てみたいと思った。
午前8時頃の米沢郊外の風景、松岬公園(旧米沢城本丸)に入る20分前である。
米沢のあるこの置賜平野は古くから肥沃の地とされ、この置賜という地名も日本書紀の持統3年(689年)には歴史に登場する。
ところで話は飛ぶが、新潟県での歴史上の人物で最も人気の高い人は、越後の名高い戦国武将であった上杉謙信であろう。
その血を受け継ぐ人々が、米沢の町を作ったのである。
越後から会津を経て上杉氏の武士団が大挙移住し、その人々の末裔がいまなお市民の大半を占め、今もなお営々として生活している町、米沢はそういう町なのである。
かれらの士風や頑固さなりが米沢文化を作ったが、この人たちを山形県ではザワ衆と呼んでいる。
この記事へのコメント