岡倉天心 茶の本 第六章  花 その4 様々な花の話

 東洋では花卉栽培の道は非常に古いものであって、詩人の嗜好とその愛好する花卉はしばしば物語や歌にしるされている。
 唐宋の時代には陶器術の発達に伴なって、花卉を入れる驚くべき器が作られたということである。
 といっても植木鉢ではなく宝石をちりばめた御殿であった。
 花ごとに仕える特使が派遣せられ、兎の毛で作ったやわらかい刷毛でその葉を洗うのであった。
 牡丹は、盛装した美しい侍女が水を与うべきもの、寒梅は青い顔をしてほっそりとした修道僧が水をやるべきものと書いた本がある。

 日本で、足利時代に作られた「鉢の木」という最も通俗な能の舞は、貧困な武士がある寒夜に炉に焚く薪がないので、旅僧を歓待するために、だいじに育てた鉢の木を切るという話に基づいて書いたものである。
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 その僧とは実はわが物語のハルンアルラシッドともいうべき北条時頼にほかならなかった。
 そしてその犠牲に対しては報酬なしではなかった。
 この舞は現今でも必ず東京の観客の涙を誘うものである。
 か弱い花を保護するためには、非常な警戒をしたものであった。
 唐の玄宗皇帝は、鳥を近づけないために花園の樹枝に小さい金の鈴をかけておいた。
 春の日に宮廷の楽人を率いていで、美しい音楽で花を喜ばせたのも彼であった。
 わが国のアーサー王物語の主人公ともいうべき、義経の書いたものだという伝説のある、奇妙な高札が日本のある寺院(須磨寺すまでら)に現存している。
 それはある不思議な梅の木を保護するために掲げられた掲示であって、尚武時代のすごいおかしみをもってわれらの心に訴える。
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 梅花の美しさを述べた後「一枝を伐らば一指を剪るべし。」という文が書いてある。
 花をむやみに切り捨てたり、美術品をばだいなしにする者どもに対しては、今日においてもこういう法律が願わくは実施せられよかしと思う。
 しかし鉢植の花の場合でさえ、人間の勝手気ままな事が感ぜられる気がする。
 何ゆえに花をそのふるさとから連れ出して、知らぬ他郷に咲かせようとするのであるか。
 それは小鳥を籠に閉じこめて、歌わせようとするのも同じではないか。
 蘭類が温室で、人工の熱によって息づまる思いをしながら、なつかしい南国の空を一目見たいとあてもなくあこがれているとだれが知っていよう。
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 花を理想的に愛する人は、破れた籬の前に座して野菊と語った陶淵明や、たそがれに、西湖の梅花の間を逍遙しながら、暗香浮動の趣に我れを忘れた林和靖のごとく、花の生まれ故郷に花をたずねる人々である。
 周茂叔は、彼の夢が蓮の花の夢と混ずるように、舟中に眠ったと伝えられている。
 この精神こそは奈良朝で有名な光明皇后のみ心こころを動かしたものであって、「折りつればたぶさにけがるたてながら三世の仏に花たてまつる。」とお詠よみになった。

 しかしあまりに感傷的になることはやめよう。
 奢る事をいっそういましめて、もっと壮大な気持ちになろうではないか。
 老子いわく「天地不仁。」
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 弘法大師いわく「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥くらし。」
 われわれはいずれに向かっても「破壊」に面するのである。
 上に向かうも破壊、下に向かうも破壊、前にも破壊、後ろにも破壊。
 変化こそは唯一の永遠である。
 何ゆえに死を生のごとく喜び迎えないのであるか。
 この二者はただ互いに相対しているものであって、梵ブラーマンの昼と夜である。
 古きものの崩解によって改造が可能となる。

 われわれは、無情な慈悲の神「死」をば種々の名前であがめて来た。
 拝火教徒が火中に迎えたものは、「すべてを呑噬するもの」の影であった。
 今日でも、神道の日本人がその前にひれ伏すところのものは、剣魂の氷のような純潔である。
 神秘の火はわれらの弱点を焼きつくし、神聖な剣は煩悩のきずなを断つ。
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 われらの屍灰の中から天上の望みという不死の鳥が現われ、煩悩を脱していっそう高い人格が生まれ出て来る。
 花をちぎる事によって、新たな形を生み出して世人の考えを高尚にする事ができるならば、そうしてもよいではないか。
 われわれが花に求むるところはただ美に対する奉納を共にせん事にあるのみ。
 われわれは「純潔」と「清楚」に身をささげる事によってその罪滅ぼしをしよう。


 こういうふうな論法で、茶人たちは生花の法を定めたのである。
 わが茶や花の宗匠のやり口を知っている人はだれでも、彼らが宗教的の尊敬をもって花を見る事に気がついたに違いない。
 彼らは一枝一条もみだりに切り取る事をしないで、おのが心に描く美的配合を目的に注意深く選択する。
 彼らは、もし絶対に必要の度を越えて万一切り取るようなことがあると、これを恥とした。
 これに関連して言ってもよろしいと思われる事は、彼らはいつも、多少でも葉があればこれを花に添えておくという事である。
 というのは、彼らの目的は花の生活の全美を表わすにあるから。

 この点については、その他の多くの点におけると同様、彼らの方法は西洋諸国に行なわれるものとは異なっている。
 かの国では、花梗のみ、いわば胴のない頭だけが乱雑に花瓶にさしこんであるのをよく見受ける。
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 茶の宗匠が花を満足に生けると、彼はそれを日本間の上座にあたる床の間に置く。
 その効果を妨げるような物はいっさいその近くにはおかない。
 たとえば一幅の絵でも、その配合に何か特殊の審美的理由がなければならぬ。
 花はそこに王位についた皇子のようにすわっている、そして客やお弟子たちは、その室に入るやまずこれに丁寧なおじぎをしてから始めて主人に挨拶をする。
 生花の傑作を写した絵が素人のために出版せられている。
 この事に関する文献はかなり大部なものである。
 花が色あせると宗匠はねんごろにそれを川に流し、または丁寧に地中に埋める。
 その霊を弔って墓碑を建てる事さえもある。

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