最上川と「おくのほそ道」の旅 その19 長尾政景公墓所から雲洞庵へ

今は黄星印の坂戸城跡にいる。


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これから赤字あ、赤字い、赤字う、赤字えの順に、直江兼続と上杉景勝のゆかりの地を巡ってゆく。

まず、赤字あの長尾政景公墓所を目指して車を進めた。


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この年はNHK大河ドラマ天地人が放映された年で、ここ南魚沼市でも「天地人」ブームに沸き返っていた。


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午前8時半頃、長尾政景公墓所に到着した。

長尾政景は戦国時代の武将で上杉景勝の実父であり、上田長尾氏の当主で坂戸城主でもあった。


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政景の墓は見ずに、歴代の上田長尾氏の五輪塔(供養塔)を見ていった。

その名前の中に、直江兼続と上杉景勝の名前もあった。

なお二人の本物の墓は、上杉景勝は米沢市の上杉家廟所に、直江兼続も同じく米沢市の林泉寺にある。

この本物の方は、後ほど平成217月の米沢の旅の中で紹介する。

赤字あの見学を終え、赤字いの雲洞庵に向かった。

午前9時半に雲洞庵に到着した。


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雲洞庵のある上田庄は山内上杉氏との関わりを持ち、山内上杉氏を継いだ憲実は雲洞庵再興を企図していた叔父にあたる上杉憲定の意思を継いでこの寺の再興を行った。

憲実は1447年に政治から退くと雲洞庵に隠棲しているが、雲洞庵はのちに越後有数の大寺院に発展し、耕雲寺(村上市)、種月寺(新潟市)、慈光寺(五泉市)と共に、越後四箇之道場と称された。

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ここは雲洞庵の赤門である。

赤門からの参道の下には法華経の一石一字が書かれた石が埋められており、古来より「雲洞庵の土踏んだか、関興寺の味噌嘗めたか」といわれ、参道を踏みしめて参詣することで御利益があるとされた。

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