「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その9 鶴ケ岡八幡宮前まで歩く
鎌倉での宿は鶴ケ岡八幡宮前のホテルシャングリラ鶴岡である。
ここで、11月5日(木)、11月6日(金)、11月8日(日)の夕方から朝までを過ごした。
このホテルは鎌倉の中心若宮大路に位置し、鶴岡八幡宮まで徒歩1分鎌倉駅からも徒歩5分ということで、観光の拠点として最適だった。
部屋も広く、バス・トイレ・冷暖房完備で朝食付き7,700円の料金は割安とさえ感じた。
11月9日(土)については、ホテルシャングリラ鶴岡の土曜日の料金が割高に設定されていたので、鎌倉の超有名ホテル(料金は格安)であるホテルニューカマクラに泊まった。
それでは今日の日程の紹介である。
これが事前計画での日程。
実際にはこう変わった。
それではホテルシャングリラ鶴岡から今日の鎌倉の旅を始める。
当初の計画では滑川河口まで歩いて行き、そこから首都鎌倉を五感で感じながら若宮大路をゆっくりと鶴ケ岡八幡宮まで歩く予定だったが、1182年に源頼朝が妻政子の安産祈願のため造らせた若宮大路は工事中であった。
若宮大路の中央部に位置する段葛の改修工事が11月4日から始まり、工事が終わる2016年3月まで通行できないという。
そこで計画を変更し、最初から遠くに大鳥居の見える鶴丘八幡宮を目指す事にした。
ところで平安京を例にとると、武家政権の首都である鎌倉の鶴丘八幡宮は内裏で、同じく若宮大路は朱雀大路ということになる。
頼朝の性格で、首都らしい設計は内裏と大路のみで、他に尾ヒレは付けなかった。
武家政権の首都として設計した内の一つを見れなかったことは少々心残りではあったが、臨機応変に対応した。
歩いてすぐに、鶴丘八幡宮の大鳥居前に到着である。
この大鳥居前で、鎌倉の主である源頼朝と歌人西行が出会う場面が「吾妻鏡」に書かれている。
その日頼朝は、かごの中から大鳥居の前に一人の旅の僧が徘徊しているのをみた。
11186年8月15日のことで、西行は69歳、頼朝は40歳であった。
頼朝はその日嫌がる西行から徹夜で、歌のことではなく武芸のことを聞きだしたという。
ここに立つと、当時の頼朝と西行の姿が目に浮かぶようであった。
この記事へのコメント