「播磨と淡路のみち」 その34 林崎漁港
夕食はホテルの前のコンビニで買ったけっこう高級な寿司(1000円ほど)と缶ビールで済ませた。
この部屋は前日宿泊したホテルの部屋に比べて格段に居心地がよく、気分よく過ごせて、気分よく眠れた。
翌朝の明石キャッスルホテルの朝食であるが、このホテルも大部分のビジネスホテルと同じくバイキング形式の朝食よなっていたので、パン食を選んでこんなメニューでおいしく食べた。
食事が終われば、今日の日程が始まる。
今日と明日はレンタカーを借りて、上記の日程に従っての、淡路島への1泊2日の旅となる。
「魚の棚商店街」とは面白い名であるが、司馬さんの「街道をゆく 明石海峡と淡路みち」を読むと、船場の御霊神社の西裏のあたりに魚の小売商が集まって、どの店も軒下に大きな板を傾けて置き、その上に魚を並べてたえず水を流して魚の鮮度を保っていたので「魚の棚」と呼ばれたらしいというふうに書かれていた。
林崎漁港には午前9時前に到着した。
司馬さんの「街道をゆく 明石海峡と淡路みち」には、林崎という地名の由来は、古くは林浦ともいい、このあたりに松林があったからだと書かれている。
林崎という漁村は明治初年の頃から1村株式組織の自営漁師の村で、ほんの近所まわりをするだけで換金性の高い漁場を持っていて、この漁場ではなんでも獲れるという。

この二人の釣り人の立つ防波堤の向こうの、播磨灘にある漁場のことである。
タコは年中で、夏の間はタチウオ、ハマチ、アジ、スズキ、サワラ、秋になるとイワシが獲れ、ノリ養殖もできる。
広さは東西20km、南北5km、その水深は2.5〜20mで、周囲の海が水深40m以上なので砂地が盛り上がり浅瀬となっていて、ここに魚類が産卵し棲息する。
こんな宝の海なので、林崎を含めた播磨海岸の各漁村と淡路島の各漁村との紛争が江戸期には頻発し、明治期になってやっと落着したという。
頭の中では林崎漁港の歴史を考えているが、目の前にはこれから渡ることになる明石大橋が、はっきり見えていた。
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