近江街道をゆく その7 西塔から東塔へ
にない堂の次に、転法輪堂に行った。
この階段を降りると、その前が転法輪堂である。
転法輪堂は現在の西塔の中心をなす大堂で、ご本尊釈迦如来を祀ることから、釈迦堂の名で親しまれている。
延暦寺に現存する最古のお堂で、元は大津の園城寺(三井寺)の金堂であったものを、豊臣秀吉の命により1596年に山上に移築したもので、造営年代は園城寺の記録から南北朝の1347年と確認されている。
韓国人と思われる女性の観光客が撮影している建物が釈迦堂である。
このあと釈迦堂の中に入った。
様式は根本中堂と同じく天台様式の典型で、内陣は土間中央に本尊を安置する宮殿を壇の上に設けている。
内陣に上がり、新しくつくられた御前立(おまえだち)の仏像の前で旅の無事を祈った。
なお、釈迦堂の本尊である木像釈迦如来立像は最澄の手彫りとされ秘仏となっていて、釈迦堂と共に国の重要文化財に指定されている。
にない堂と釈迦堂を見て西塔を終え、琵琶湖の絶景を期待してバスで比叡山頂まで行ったが、残念ながらそれほどの絶景は望めず、乗っていったバスにそのまま乗って東塔に向かった。
東塔は伝教大師最澄が延暦寺を最初に開山した場所で、比叡山内に点在するお堂の中心である。
まず僧侶の学問修業の場であり国の重要文化財に指定されている大講堂に行った。
この大講堂で、現在最も重要視される法会が「法華大会(ほっけだいえ)広学竪義(こうがくりゅうぎ)」であるが、この説明は東塔を去るときに行いたい。
大講堂から15分以上歩いて、幅の広い石段を上がり法華総持院に到着した。
右側の建物が阿弥陀如来を祀る阿弥陀堂で、左側が東塔である。
伝教大師最澄上人は「一隅を照らす」と云う教えを示され、全国六箇所に宝塔を建て国土と国民を護ることを発願されが、その中心宝塔として比叡山に建立されたのがこの東塔である。
兵火により当時の建物は消失し、現在の建物は400年ぶりに建てられたもので、高さ30メートルの木造桧造りである。
次に数分歩き、戒壇院に上がった。
戒壇院は僧侶が大乗戒(規律)を受ける比叡山中で最も重要なお堂である。
我が国に初めて大乗戒担院を建立すべく心血をそそがれた伝教大師の没後7日目に勅許を受け、828年に第1世義真座主により創建された。
内陣に得戒和尚釈迦牟尼仏と文殊、弥勒両菩薩が祀られ、年に1度受戒が行われる。
この前に立つと、心底身が引き締まった。
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