「オホーツク街道」の旅 その17 宗谷丘陵の風景

 オンコロマナイ遺跡の丘の右端部から宗谷丘陵に上がる。

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 宗谷丘陵は、宗谷岬南部に広がる標高20メートルから400メートルまでのなだらかな丘陵地帯、北から南に向かい標高が高くなり、緩やかに起伏しているが、深い谷はほとんど存在しない。

 地形は、地理学者・鈴木秀夫東大名誉教授により、2万年前の氷河期に形成されたものと確認され、周氷河地形と名付けられている。氷河周辺部が凍結と融解を繰り返すうちにできたもの。
 明治期の山火事によって樹木が消失した。気温が上がらず強風が吹くため、現在も樹木が回復していない。
 そのため、樹木にさえぎられることはなく、国内でこのように明瞭な周氷河地形が観察できる地域も他にない。
 日本列島や北海道の生い立ちを伝える貴重な遺産として2004年に北海道遺産に選定されている。
 この丘陵を宗谷岬の方向に降りていく。

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  この写真は、宗谷岬から590m離れた宗谷丘陵展望休憩施設から撮ったもの。
雄大な宗谷海峡が広がり、肉眼ではサハリンの島影も見えた。
 丘を下っていくと、宗谷岬から約270mの場所に祈りの塔がある。

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 塔には碑文が添えられていて、塔の周辺には地域の婦人部が世界平和の願いを込めて植栽しているアルメリア花壇がある。

 昭和58年9月1日未明にサハリン西海域で起きた大韓航空機撃墜事件の遭難者の慰霊と世界の恒久平和を願い、遺族会の資金と、稚内市をはじめとする全国からの浄財をもとに、サハリンを臨む宗谷岬の高台に建立されたもの。

大韓航空機撃墜事件は、1983年9月1日に大韓航空のボーイング747が、ソビエト連邦の領空を侵犯したために、ソ連防空軍の戦闘機により撃墜された事件で、乗員乗客合わせて269人全員が死亡、乗客の中には日本人も28名含まれていたという、東西冷戦時代を象徴するような出来事。

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破線が航路なのだが、実際には実線を飛行して、サハリンを過ぎて撃墜された。

 実線の航路を見ると、国境の歴史も少しだが垣間見れる。稚内(宗谷岬)は国境の街なのである。
 丘をもう少し下ると、宗谷岬から140mの場所に、大岬旧海軍望楼がある。

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帝政ロシアとの国交が悪化し始めた明治35年に国境の備えとして旧帝国海軍が建設したもので、当時最強といわれたロシアのバルチック艦隊が、宗谷海峡、津軽海峡、東シナ海のどこかを通過し、ウラジオストクに集結するかを察知することは、戦略上極めて重大であったことから、同望楼の海上監視にも、任務の重要性が課せられた。

日露戦争の終結に伴い望楼の使命は終わった、稚内では明治年代の建築物で現存する唯一のもので、昭和43年12月、市の有形文化財に指定された。
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 ここまで降りて来ると、宗谷岬はもう目と鼻の先、眼下には今日の宿泊先である「最北の宿」の屋根が見える。

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