「播磨と淡路のみち」 その37 二つの洲本城

午後一番に、洲本城に行った。


洲本城は二つあり、一つは豊臣期に築かれた山城であり、もう一つは江戸期に山城のふもとの築かれた平城である。


まず、平城跡の方に行った。



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  この淡路文化史料館は、江戸時代のはじめに築かれた平城跡にある。

ここには、淡路島の自然、文化財、地場産業などの情報を楽しく概観できるようカラーディスプレイで紹介ガイドコーナー、国の重要無形民俗文化財の指定を受けている淡路島の代表的な民俗芸能である淡路人形浄瑠璃の人形の頭や、太夫が使う見台・三味線など復元舞台を中心に展示している大展示室がある。


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  さらに、原始古代から近代までの歴史を出土遺物、金工品、文書、模型、写真パネルなどの資料を通じて展示している歴史展示室、海と漁業にかかわる民具・絵馬、昔の農耕具、庶民の生活用具、全国的にも著名な淡路のやきもの珉平焼、洲本出身の文豪・岩野泡鳴の関係資料のほか、島が生んだ芸術家の作品を展示している民俗展示室などがある。


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  屋外には、自然庭園のほか、岩野泡鳴の文学碑、高田蝶衣・直原玉青・奥田雀草の句碑などがある。


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  この平城跡には、武家中心の内町と、町人中心の外町が図のように広がっていた。

平城跡を見たあと、豊臣期に築かれた山城跡に向かった。



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  なかなか山城への入り口がすぐに分らなく、かなり行き過ぎてから再び戻って、山城跡への入り口をしっかり見つけてから、山城跡に上っていった。



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  この馬屋と書かれている黄☆印の場所に車を停めた。


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  この標柱には馬屋(月見台)とかかれている。

ここは風がかなり強く吹いていて、幟旗が大きく翻っている。


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   馬屋(月見台)から展望すると、洲本市の向こうに紀淡海峡の海が広がっていて、海の向こうには紀伊半島がある。

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